世界一カルトな親子の作品!Surveillance鑑賞

【どうしてこの顔にしたんだろう?ホラーっぽいけどね!】

SNAKEPIPE WROTE:

毎週2、3本の映画鑑賞の習慣はずっと続いているため、TSUTAYAには月に数回通っている。
テレビや雑誌をほとんど活用しない生活を送っているため、TSUTAYAで情報を知ることも多い。
先日も「ご冥福をお祈りします」と書いてある看板をふと見ると、なんとびっくり!
あの今敏監督が亡くなっていて、特集がされていた。
えーーーっ!新作を楽しみにしてたのに!
豊かな才能を持った方がお亡くなりになるとは非常に残念。
今敏監督、たくさんの素敵な作品をありがとう!

先日はTSUTAYAの新作コーナーがちらっと目に映った。
ジェニファー・リンチ
ん?んんん?どこかで聞いたことがある名前。
おっ!そうだよ!そうだよ!ソースだよ!(古い)
ジェニファーってデヴィッド・リンチの娘じゃん!(笑)
「イレイザー・ヘッド」で「天国ではなんでも最高!」と歌っていたあの少女!
リンチ作品に子役で出演してたんだよね。
「ツインピークス ローラ・パーマーの日記」を書いたのも彼女。
大人になってからは確か肩にコーヒーカップのTATOO入れてた記憶が…。
と、ここまでの間がほんの数秒の話ね。
見上げるとジェニファー・リンチの紹介がされている。

鬼才デヴィッド・リンチの娘。
1993年に「ボクシング・ヘレナ」で監督デビュー。
本作は実に14年ぶりの最新作となる。

「ボクシング・ヘレナ」は観た記憶があるなあ。
確か手足を切断された女が出てきたような…。
随分昔のことだからすっかり忘れてるけど、確かに当時は「リンチの娘が監督デビュー」として鳴り物入りで宣伝されてたっけ。
映画自体をあまりよく覚えていないということは、多分あまり気に入ってなかったのかもしれないね。(笑)

そしてその最新作「サベイランス」の大きなポスターも展示されている。
「製作総指揮:デヴィッド・リンチ」
ええーーーっ!親子で作った映画だったのーーー!
リンチアンのSNAKEPIPEがこんな情報を見逃していたとは不覚!
んもお、これは一刻も早く観なければっ!

ドキドキしながら鑑賞開始。
観る前からこんなに興奮するのは本当に久しぶり。
Executive Producer  DAVID LYNCH
というクレジットを観ただけで失禁しそうになったくらい!(お下品な)

この映画、オープニング・クレジットだけでかなり怖い!
心臓がバクバクするほど映像に惹きつけられる。
これは期待できそうだ。
簡単にあらすじを書いてみようか。
「サンタ・フェの田舎町で起こった猟奇的な無差別殺人事件。
捜査に乗り出したFBIによって、殺人現場に居合わせた3人の生存者たちは、奇妙にも監視されながら事情聴取される。」(公式サイトより)

田舎町で起こる殺人事件といえば、リンチの十八番。(笑)
そしてそこに出てくるFBI、と聞けば「ツインピークス」を思い出すのも仕方ないよね。
あれだけ強い個性を持ったリンチが父親だから、影響受けて当然!
ま、前述したように幼少時代からリンチとは密接に関わってたみたいだし。
ところどころで出てくるショットも
「うわー、リンチっぽい!」
とニヤニヤしながら観てしまった。(笑)

主役を演じたのがビル・プルマン
あっ!「ロスト・ハイウェイ」に出てた俳優!
あれから13年くらい経ってるけど、それにしても太ったねー。
言われないとあの時の俳優と同じとは思えないほど。
ただし太ったおかげで(?)時々ロバート・デ・ニーロに似てたよ。(笑)

地元警察官役で出ていた「スターシップ・トゥルーパーズ」でお馴染みのマイケル・アイアンサイド
彼はジャック・ニコルソンに似てるし。
一瞬だけ観た時にはデ・ニーロとニコルソンという二大大物俳優が出演してる映画だと勘違いされそうだよね。(笑)

そして監督ジェニファー・リンチはリンチのそっくりさん、というところで
「そっくりさん大集合の映画」
とも言えそうね。(笑)

リンチ特有の「不条理世界」はあまり感じられなかったけれど、なかなか見ごたえがある作品だった。
構成も面白かったしね!
あの結末はミステリーの世界では「やってはいけないこと」になるんじゃないかね?
詳しくは書かないけど。(笑)

劇中で流れたヴァイオレント・ファムスの「Add It Up」にROCKHURRAHがノリノリ!
映画の中でもラジオから流れてくる曲に合わせて皆が「懐かしい!」と盛り上がっている。
1983年の曲とのことなので、丁度ジェニファー・リンチが思春期だった頃なんだろうね。
かなりカッコいい曲なので皆様も是非聴いてみて!
ROCKHURRAH RECORDSで販売中!(宣伝してみたよ)
シングルのジャケットに少女が写っていて、それがまたこの映画に出てくる少女みたいでつながりを感じるよね。
<ROCKHURRAHによる追記>
つながりと言えば上の写真にある気色悪いマスク男。これも実はヴァイオレント・ファムスの1stアルバム・ジャケットの土偶みたいな写真と奇妙にも似ている。この辺からも着想を得たのかもね。
<以上>

「サベイランス」は2008年ニューヨーク・シティホラー映画祭最優秀監督賞受賞、主演女優賞受賞、2008年シッチェス国際映画祭作品賞受賞らしい。
ん?2008年って2年前だよね。
どうして今年になって日本で公開されたのか不思議。
その経緯はよく分からないけど、リンチファンには嬉しい出来事だった。
今度はリンチ本人の新作を楽しみに待ちたいと思う。

逸品制作日誌 ファティーグ・ジャケット流用バッグ

【ミリタリーとパンクの融合を目指せ!】

SNAKEPIPE WROTE:

9月に入っても相変わらず「猛暑」「熱帯夜」のニュースが続いていますな!
お休みでも家の中でクーラー効かせてゆっくりするのが一番、ということで久しぶりに制作してみたSNAKEPIPEである。

今回は最近凝っているミリタリーを感じさせる作品を作ってみよう。
と、考えたのがまずはTシャツ。
以前「素材用に」と買っておいたBDUジャケットがあったことを思い出した!
これを使ってオリジナルな逸品、いいかも!(笑)

ROCKHURRAH RECORDSのオンラインショップで展開している 【BINARY ARMY】オリジナル・Tシャツ/DESTROYING ANGELはパンク全開のデザインなので、これを少しアレンジしてみようか。
赤×グレーををオリーブ×グレーに、袖の3本線をミルスペック・タグに変更。
写真には写っていないけれど、背中側にはファティーグ・ジャケットから流用したカーゴ・ポケットを縫いつけてみた。
そしてもちろん忘れちゃならないのは中央部分、大量の安全ピン!
ミリタリーだけど、やっぱり心はパンク。(笑)
軍施設や空港などに行く時には、金属探知機に引っかかるかもしれないから要注意だけどね!

ずっと前に作ったDESTROYING ANGEL以来の傑作!と自画自賛。
なかなか気合の入ったTシャツで、最近の靴や帽子とのコーディネイトもバッチリ!
コーディネイトはこうでねいと!(ぷっ)
ミリタリーとパンクの融合ファッションについては、これからもずっとテーマだね!
もっといろいろ作りたいな、とまだ余ってるBDUの残りを使ってヒップバッグ作ってみた。

それが写真右のバッグ。
なんとほんの2、3時間で完成。
やればできるじゃん、SNAKEPIPE!(笑)
今回は初めからベルト付きタイプにしてみた。
またもやカーゴ・ポケットをそのまま流用してデザインのポイントとなる中央に配置。
その上にジッパーを取り付け、出し入れし易い大きめの口にしてみた。
これなら余裕で手が入れられてベリー便利ー!(笑)
ふー、ダジャレ言うのも疲れるね。(うそ)

このTシャツにこのバッグ。
首にはシュマーグ。
帽子はキラーキャップかブーニー・ハット。
そしてコンバット・ブーツ!
これで決まりっ!(笑)
お気に入りのスタイルが出来てとても嬉しいSNAKEPIPEである。

大人社会科見学—横田基地日米友好祭2010—

【飛んでる画像はウソです。実際撮ったのは右上だけ】

ROCKHURRAH WROTE:

「夏嫌い」と何度も明言していて暑さにも湿気にも滅法弱いROCKHURRAHだが、今年の夏の猛暑は苦痛極まりない。夏はそこまで苦手じゃなかったはずのSNAKEPIPEでさえさすがに参ってしまい、家に帰ると二人ともぐったりという日々が続いている。二人が特別なわけじゃなくて今年は誰でもそうだろうね。
そんな過酷な夏のくせに最も暑かったろうと思えるお盆時期には休みが取れず、少し遅れて短い夏休みとなった。この暑さの中、旅行したり帰省したりはどうせしないつもりだったけれど、せっかくの休みなので近場でもどこか行きたいとは前々から思っていて、そんな二人が考えたちょっとしたおでかけは「そうだ、横田に行こう」というもの。

というわけで8/21と22日の2日間に福生の横田基地で行われた「横田基地日米友好祭2010」というイベントに行ってきましたよ、というだけのROCKHURRAHには珍しい内容の記事が今回のものだ。このブログの愛読者はほとんどいないと思えるから自分で説明するが、その手の記事をSNAKEPIPEが書く事はあってもROCKHURRAHが書いたのははじめての事だから「珍しい内容」というわけだ。

さて、U.S. AIR FORCE 第374空輸航空団の拠点となるのがこの横田基地ということだが、本州では最大の米空軍基地として知られている。
前にも書いたがミリタリーな服装が好きなだけで軍隊そのものや兵器に興味あるわけではない二人だから、軍事おたくなら誰でも知ってるような事もロクに知らない。
今回もそういう方面のうんちくなどは何もないわけで、そういうのを期待して読んでる人はここでやめた方がよかろう。単にここに来れば本場の空軍ルック(言い方変か?)がたんまり見れるんじゃない?と思ったから行ってみただけだ。

強いて書き加えるならば、ROCKHURRAHは幼少期に基地の町で育って、実際に住んでいたのも米軍ハウスだったので、そこの米軍基地イベントは大昔に経験した事がある。そのノスタルジーが常々あったというわけでこの友好祭を知り、行きたいと思うのも当然の流れなのだ。さらに子供の頃はタミヤの戦車や歩兵、ハセガワの戦闘機といったプラモデルをチマチマ作ったりMGCやマルイのモデルガンを撃ちまくったり、火薬とセメダインの匂いがする少年だった。意外と兵器好きな一面もあったなあ、と思い出す。あの頃は何軍とかのこだわりも何もなくて、単に見た目のカッコ良さだけで選んでいたものよ。あらら、もしや今でも全然変わってないのか?

5月のブログでもちょっと書いた通り、ここに二人でやってきたのはごく最近の事。我が家からはかなり遠い東京の西の果てという印象があったから、電車の時間なども調べて前日は早寝してこの日に臨む事に。そして当日は朝の5時に起床という休みの日にはあり得ない早起きをして準備した。ちょっとした遠足気分だね。

この日のためにSNAKEPIPEは久しぶりにTシャツを制作していたんだが、その意気込みの甲斐あって素晴らしいのが出来上がった。本物のベトナム・ファティーグ・ジャケットを解体してTシャツにパーツを移植、ただそれだけじゃなくてパンク的な要素も盛り込んだ独特のミリタリー+パンクの世界を表現したもの。これにブーニー・ハット、ポケットがやたら多いカーゴ・パンツ、HH(ダブルH)のミリタリー・ブーツ、そして仕上げが熱中症&日焼け対策のためのシュマーグ(アフガン・ストールまたはアラブ・スカーフ)といういでたち。個々のパーツへのこだわりはよーくわかるが全体的には何だか得体の知れない迫力あるスタイルとなった。しかも今から行くのは空軍基地であって熱帯ジャングルでも砂漠でもないんだよ(笑)。
ROCKHURRAHもこの日のために、というわけでもなくてTシャツ作ったんだが最近はミリタリーというよりはタクティカル系、あるいはPMC(Private Military Contractor)系のスタイルがお気に入りなので、そういう雰囲気のコーディネイトで出かけた。簡単に言えば民間軍事請負企業が戦地に送り込んだ現代の傭兵スタイル(の真似事)ね。ごつい、暑い、でも抜群に穿きやく頑丈なTAD GEARのカーゴパンツと軽い、見た目が気持ち悪い、でも最高に履き心地が良いBATESのタクティカル・ブーツ、マルチカムのキラー・キャップなどを合わせてみた。ん?もしかしてコーディネート変?そして仕上げはSNAKEPIPEの真似をして買ったシュマーグを首に巻いて、やっぱり何だかわからない不気味な格好と相成ったわけだ。おまけにシュマーグ巻いたせいでせっかく作ったTシャツが全く見えてないよ。
この場違い&怪しい二人で横田基地に乗り込んでみよう。

9時前に横田に着くというのを目標に、必ず座れる電車を選んで眠ってゆこうという計画だ。そしてまんまとウトウトする事が出来てここまでは良かった。しかし朝の9時前だというのに最寄り駅の牛浜は満員の大混雑。初めての参加なのでどのくらいの混雑なのかは予想出来なかったし、漠然と横田基地=広々=周辺も広々という印象があったのにこの牛浜駅前は非常にちっぽけで道も狭い。そこに溢れる人々で朝から熱気ムンムンという状態だ。横田基地のゲートをくぐる際に荷物検査や人相風体(?)チェックがあるとの事なので尚更スムースに進めないのだろう。
何とか苦労して二人とも無事ゲートを通過する事が出来たが、見ればそこかしこにもっと怪しげな奴ら(本物のミリタリーおたく集団)がゴロゴロいるわけで、ROCKHURRAH達の怪しさなどかわいいものだった(笑)。持ち込み禁止のアルコール類を没収されてる現場も見たのでただの形式的な荷物検査というわけでもなさそう。みんなニコニコ笑ってはいるが、本当は怖い米兵。

最近の米空軍が採用しているユニフォームはABU(Airman Battle Uniform)と呼ばれるものでベトナム戦争時代のタイガー・ストライプ迷彩をデジタル化してそれをモノクロームにした(というよりはクリーム×グレーといった色調)ような迷彩柄。
ウチが前に書いたブログ「CAMOのマイハウス」では割愛したけど陸軍のACU迷彩(Army Combat Uniform)、海軍のMARPAT迷彩(Marine Pattern)と共に現代的な迷彩のポピュラーなものだ。
入り口からいきなりその全身ABUにベレーというスタイルの兵士達がわんさか、これはさすがに本場の迫力で、個人的にはこれを見ただけでも来た甲斐はあったと思える。しかし古典的なウッドランド迷彩やドイツのフレクター迷彩が大好きというSNAKEPIPEは特に感慨もない様子で割と冷ややか。確かにそっちの方が色数も多いしデザイン的に優れているとは思うけど。

友好祭とは言っても開放されているのはこの基地のごく一部のスペースだけ。そこにハンバーガーやホットドッグ、ピザというような食べ物の屋台、それにTシャツやキャップといった衣料品を扱うブースが並んでいてアメリカン気分を満喫出来るというお祭りだ。さらに格納庫のような建物が開放されていて、そこでアメリカン・ロックやヘヴィメタルのようなライブが催されるという。今年の目玉はアースシェイカーとバウワウ、うわっ、思いっきり70〜80年代のジャパニーズ・ハードロックがここでは大人気なのかね?今どきの若い兵士はたぶん知らんでしょうというラインナップ。
ハードロックにもアメリカン・ファストフードにも特に興味ない二人だからこの辺は全部すっ飛ばしてTシャツや米軍パッチ(ワッペン)などのブースを視察してみる。全体的にYOKOTA AIR BASEというロゴが入ったものが多く、今日ここでしか買えないといったおみやげ感があるデザインが主流だね。普段はあまり見向きもしないROCKHURRAHだが、珍しく気に入ったデザインのものがあったのでSNAKEPIPE用のと自分用のをそれぞれ記念にと、別の店で買ってお互いのプレゼントとした。センテンス長いな。
パッチ類は思ったよりもマニアックな特殊部隊のものなどが外で買うよりずっと廉価で売ってたのでそれもついでに買った。どさくさに紛れてどこでも買えるようなものも売ってたりする、という印象があったが思ったよりはちゃんとした品質のものが多くて、アメ横よりはマシかもと思える。これは予想外だった。キッズ用のABUなども売っていたが需要あるのかね?衣類に関しては基地内のPXが出店であればもっと興味深いものもあっただろうけど、そこだけが残念(調べたわけじゃないので詳細は不明)。

さらに奥に進むと今回の横田のメインとも言える軍用機の地上展示を間近で見る事が出来る。ここはさすがに戦闘機おたくのカメラ集団がすごくて、誰もが撮りまくり状態だった。近場で見るとやはり迫力あるねえ。
最初に書いた通りROCKHURRAH達は軍用機を見て「ここのシェイプが素晴らしいね」くらいは言えるがメカとしてのスペックなどは全然わからない。F-4ファントムとかF-15イーグルとかまでが何となく判別出来る程度で、それ以降の知識はほとんどない素人なのだ。一部で話題だった最新型の超高級戦闘機、F-22ラプターもあったのか?歩いた範囲内にはなかったし、性能はともかく見た目があまり好きじゃないので、血眼になって探さないという方針にした。まあ詳細はわからなくてもみんな充分にカッコ良い機体なのは確か。楽しむ事は出来る。
その対面では輸送機やヘリなどの展示が行われていて、実際に中に入る事が出来るため大盛況。映画「ブラックホーク・ダウン」でおなじみのUH-60ブラックホークと兄弟分であるSH-60シーホークらしきものがある(これまたそう思っただけで本当は何と言うヘリなのか不明)。コックピット部分を撮影したかったために乗り込んだROCKHURRAHだったが、何を思ったかSNAKEPIPEが気を利かせて窓から顔を出した姿を記念撮影してくれてるよ。何だか小学生とお母さんみたいな一幕だな(笑)。でも今回のいでたちでこういう軍用ヘリに乗った姿は結構本格的に見えて日本人離れしていたかも、と後で自画自賛。

一回り歩いて楽しいひとときだったが緑と言ったら芝生程度で木陰もない、建物の陰や風通しの良い場所は人で満員。全体的にコンクリート部分が非常に多い空軍基地だから予想通り暑いのなんのって。SNAKEPIPEがあまりの暑さに頭痛を訴え、屋内ライブ会場に避難することにした。中は一応直射日光を防げるし、まだ少しだけ座れる場所があったので床に直接体育座りで一休み。いくら楽しみにしていた友好祭でも熱中症で倒れたら悲惨だからね。水分補給してしばらく休むとSNAKEPIPEも回復してきたと言う。本格的な熱中症にならなくて良かったよ。

時刻は昼になろうとしていて、食べ物屋台はどこも行列。入った頃はまだそんなでもなくて高を括っていたんだが、これは何か買うのも至難の技となってしまった。休む前に食べ物と飲み物を買っておけば良かったと後悔してももう遅い。仕方ないからもう一度外の屋台に何か買いに行く事に。うまそうでリーズナブルな店はさすがに長蛇の列、しかしもう選り好みしてる余裕がないからヒマそうな店を見つけてホットドッグとドリンクを買う事に。空腹でたまらなかったわけではなくて食後に頭痛薬を飲みたかっただけなのだ。
格納庫の外側にやっと日陰を見つけて半ば無理やり座った二人。本当は人がいたんだがSNAKEPIPEが一応病人風だったためによけてくれたのか?ホットドッグはソーセージ以外何も入ってないシンプルなもので何と450円。観光地的な物価なのか?いや、200円ハンバーガーなどは長蛇の列で大人気だったわけで、横田基地全体が高いわけじゃない。並ぶのイヤだったから仕方ないよね。

周りの芝生に座ってた人々が米兵に何か言われて次々と退散してゆく。見ればちゃんと拳銃を持ったミリタリー・ポリスか警備員のような人物。芝生に入っちゃいかんよ、というような事らしい。いくらお祭りとは言ってもここは軍施設であり規律正しい組織なのだ。それとなく見張っている軍人も各所で見かけたしね。自分勝手でマナーの悪い人間をもっと追い出してくれよ、MPさん。などと思って、逆にすがすがしい光景だった。

うーん、ありきたりなレポートではあるがかなり長い文章となってしまった。
来年以降にも是非行きたいと思うROCKHURRAHだったが、暑さ対策はしっかりと。当たり前だとわかってはいても充分じゃないんだよね。そしてこれしきの事でへばらないような体力作りが今後の課題かな。
より暑くなると思っていたシュマーグが実は大変役立つアイテムだと言う事がよーくわかった。あれはダテじゃなかったんだね。この記事が元で来年の横田が国籍不明のシュマーグだらけになったらこりゃまた困るけどね。

マン・レイ展~知られざる創作の秘密

【国立新美術館入り口近くの看板】

SNAKEPIPE WROTE:

中学・高校の6年間、SNAKEPIPEが所属していたのは美術部だった。
中学の時はデッサンをやらされたり、毎年恒例になっている行事や「○○のためのポスター」を描かされたりして自分が本当に描きたいと思って描いたわけではなかった気がする。
高校になっても恒例行事に関する義務的な絵を描くことはあったけれど、中学よりは自由があった。
本当に自分が描きたいと思う題材を好きに描いたように記憶している。
随分後になってから、高校時代に描いていた絵が「シュールレアリスム」だったんだと気付く。
幻想的で夢を再現したような、有り得ない光景。
想像したことを絵で説明したい欲求を持っていたようだ。
10代後半からSNAKEPIPEはやっと「自分が本当に好きな美術」についての勉強を自主的に始める。
美術の授業には「シュールレアリスム」についての項目はなかったからね。
「シュールレアリスム」について調べていくと、かなりの数のアーティストの名前がぞくぞくと登場してくる。
ダリ、マグリット、キリコ…。
絵を描くアーティストのほうが知名度が高いかもしれないけれど、高校時代から写真に興味を持っていたSNAKPIPEが気になったのはマン・レイだった。

「マン・レイって誰?」という方のために簡単に説明しておこうかな。
マン・レイ(Man Ray, 本名:エマニュエル・ラドニツキー Emmanuel Rudsitzky, 1890年8月27日 – 1976年11月18日)は、アメリカのフィラデルフィア生まれのユダヤ系ロシア人。
画家でもあり、彫刻家でもあり、写真家でもある。
映画も撮ってるしね。
アートに関することを全部一人でやっちゃった人なんだよね。(笑)
写真、と一口に言っても実験写真(レイヨグラフ、ソラリゼーションなどの技法を使ったもの)からファッション写真、ポートレイト写真など様々。
今でいうところのマルチ・アーティストって感じかな?
だから「マン・レイって何をやった人?」と聞かれると答えるのが大変。
SNAKEPIPEにとっては写真家としてのイメージが強いけど、ROCKHURRAHには画家として認識されてるしね!

なぜROCKHURRAHがマン・レイの絵を知っているのか訊ねてみると
「Skidsのジャケットに使われていたから」
とのこと。
元々このバンドが大好きだったので、その影響でマン・レイにも興味を持つようになったらしい。
ROCKHURRAHの場合は音楽から入ったパターンだね。
もしこのバンドがマン・レイの写真を使用していたら、写真家として認識していたのかもしれないね。(笑)

マン・レイ展」が開催されているのを知り、興奮した。
今まで何枚もの写真を目にしているし、マン・レイに関する書籍なども所持しているSNAKEPIPEだけれど、展覧会は初めてなのである。
同じくROCKHURRAHも初めてとのこと。
場所は六本木にある「国立新美術館」、ここも初めてなので是非行ってみることにした。

六本木って美術館がいっぱいあっていいよねー!
六本木ヒルズにある「森美術館」、今回行く「国立新美術館」、「サントリー美術館」等々。
森美術館には面白そうな企画の時に何度か足を運んでいるけれど、今回の「国立新美術館」はヒルズとは反対方角に進むこと約10分。
「政策研究大学院大学」という大学なのか大学院なのか判らない名前の学校を左手に見て、新美術館はあった。(笑)
さすがに「新美術」なだけあって、新しくてキレイな建物!
ミュージアムショップに建物のポストカードもあったしね。(笑)
施設内もとてもキレイでピカピカ。
長い傘の持込は禁止、と書いてあるのが今まで行ったことのある美術館にはなかったルールかな!

「マン・レイ展」は活動していた場所と年代で4つのブースに分けられていた。
1:ニューヨーク 1890年~1921年(マン・レイ0歳から30歳まで)
日本でいうと明治23年~大正10年。
生まれはフィラデルフィアだけど、7歳でニューヨークに移ってるらしい。
そのニューヨークで画廊を経営するアルフレッド・スティーグリッツと知り合いになり…って軽く紹介されてるけどさ!
スティーグリッツって「近代写真の父」なんて言われてる大御所中の大御所よ!
その大物写真家と知り合いになるってところで、もう道は拓けてるよね。(笑)
この頃の作品はほとんどが絵画。
SNAKEPIPEが目を引いたのは「飾り文字の習作」と題された1908年の作品。
まだ17、18歳の頃の作品だけど、とてもデザイン的でおしゃれだった。
相当「できる子」だったんだろうな。(笑)
キュビズムにも影響を受けてるようなので、吸収する力もあるんだねえ。

2:パリ 1921年~1940年(マン・レイ31歳から50歳まで)
日本でいうと大正11年~昭和15年。
マン・レイの有名な作品はやっぱりこのシュールレアリスム時代の物が多いかな。
この頃のパリには強い憧れがあるSNAKEPIPE。
物凄く面白そうな時代、面白そうな場所!
カフェのあちらこちらで、後に有名になるアーティスト達がたむろして議論してたり。
人と人との出会いが新たな作品を生む力になったり、企画が出来上がったりしてイマジネーション渦巻くエネルギーに溢れた街だったんじゃないか、と想像する。
タイムワープできたら行ってみたいな!(笑)

パリ時代になると写真の展示が増えてきて、有名人のポートレイトがいっぱい。
モデルで愛人だった「キキ・ド・モンパルナス」の写真があると「マン・レイだなー!」と思ってしまう。
SNAKEPIPEにとってはキキのポートレイトが馴染み深いのかもしれないね。
それにしてもあの有名な「アングルのヴァイオリン」が展示されていないとはびっくり!
fの文字を背中に付けた、女性の丸みを帯びた裸体(キキ)をヴァイオリンに見立てた作品ね。
リトグラフとして後年の作品にあったけど、やっぱり写真で観たかった。

3:ロサンゼルス 1941年~1950年(マン・レイ51歳から60歳まで)
日本でいうと昭和16年~昭和25年。
この頃は戦争の時代。
本当はパリに滞在していたかったマン・レイも仕方なくアメリカに戻ったらしい。
そこで晩年を一緒に過ごすことになる女性、ジュリエットと結婚。
この時55歳くらいかな?
マン・レイというのは女性がいないとダメな人みたいで、女性からインスピレーションを受けて作品作りをしていたようなところがあるよね。(笑)
ジュリエットは今までのマン・レイの愛人でありモデルであった女性達とは、ちょっと違う印象を受ける。
そこが良かったのかな?(笑)

4:パリ 1951年~1976年(マン・レイ61歳から86歳)
日本でいうと昭和26年から昭和51年。
戦争終わった!パリに戻るべ、そうするべ!と夫婦揃ってパリへ。
やっぱりマン・レイにとって居心地がいいのはアメリカじゃなかったんだね。
高齢になっているせいか、あまり出歩かなくてアトリエに夫婦で引きこもり状態だったみたいだけど、なんだか楽しそう!
妻のジュリエットをモデルに写真(カラー・ポジフィルム)撮ったり。
ゆっくりした時間を仲良く過ごしてたんだろうな、と想像する。
そのカラー・ポジフィルムはマン・レイが考案した色彩定着を使っている、というから驚いちゃうよね。
いくつになっても新しいことにチャレンジしてたんだな、と。

かなり展示数が多くて、見ごたえのある展覧会だった。
だけど、2番目のパリ編でも書いたように「マン・レイといえばこれ!」と思われるような作品の展示が少なかったのが残念!
「アングルのヴァイオリン」も「涙」も針付きアイロン「贈り物」もなかったからね!
ジャン・コクトーの写真なんて3CMくらいの円形で、まるで集合写真から切り取られたくらいの小ささ。(笑)
出てはいけない線ギリギリに立って、ズズーーッと前のめりになってようやく見えたくらいだったし。

「マン・レイについて」なんてあまりに奥が深過ぎて、SNAKEPIPEには恐れ多すぎて書けましぇん!
ましてや「ダダとは」「シュールレアリスムとは」なんてことも、その道の評論家の方にお任せしましょ!(笑)
今回の展示を観て一番に感じたのは、やっぱりヨーロッパ(特にパリね)の文化、芸術のレベルの高さ。
マン・レイが一番ノリノリだった昭和15年までのパリでの20年間、日本での芸術ってどんな状態だったんだろう?
日本でもダダイストやシュールレアリストはいたと思うけどね。
SNAKEPIPEが興味を持っている前衛写真家小石清の写真集「初夏神経」出版が1933年。
割とイイ線いってるか。(笑)
この時代の日本のアートシーンについてはもっと調べてみたいと思う。