痛くて怖い物語

【「28日後…」でチンパンジー教育用に使用されていた映像より】

ROCKHURRAH WROTE:

今まで滅多に映画鑑賞記みたいなものを書かなかったROCKHURRAHが久々に映画について書いてみよう。
映画に関してはROCKHURRAHサイトのキーワードとも言える「70〜80年代の・・・」限定というわけにはいかないが、そもそも昔はよく見かけた定番の映画(と言ってもちょいマニアックなもの)でさえ大手レンタル屋チェーンとかでは見事に姿を消しているという嫌な時代。仕方なく入手しやすい映画ばかり観ているけど、ブログで感想書きたくなる程の作品は少ないなあ。しかも面白いのはSNAKEPIPEの「CULT映画ア・ラ・カルト」シリーズでもう書いてしまってるから、それ以外の「地味な映画」担当になっちまった(笑)。まあそんな映画の中から何とか探して書いてみましょう。微妙にちょっと前の映画なのがROCKHURRAH流時代遅れのススメというわけ。

さて、今回はありそうでなさそうな怖い話というような括りでいくつかピックアップして軽く書いてみようか。ROCKHURRAHが書く時はいつもなんだが、相変わらず考察も批評も特になくて、単にこんな映画もあったなあ、という程度だから何も期待しないで。
また、ネタバレにならないように書いてるつもりでもうっかりバレてしまったらごめん。


まずはクエンティン・タランティーノが製作総指揮でイーライ・ロス監督の「ホステル」から。この世界では若手と言ってもいいのかな?作品数も少ないからこの「ホステル」が代表作となる。結構話題になってたから知ってる人は知ってるだろうが、監督の名前を聞いても知らない人も多いかも。この人はタランティーノ監督の「イングロリアス・バスターズ」に俳優として出てたのも記憶に新しい(劇中に出てくるナチス映画もイーライ・ロスが監督)。
ストーリーは単純なものだが、3人組のバックパッカーがヨーロッパで無軌道な旅をしている最中の怖い話。旅先で紹介されたスロバキアにあるホステル、そこが問題の場所なんだが最初は楽しい天国のような歓待を受ける3人。それが一転して次々と・・・とまでは行かない少人数だな。2人いなくなれば次は3人目だって事くらいは誰でもわかる。
まあ世にも恐ろしい目に遭ってしまうわけだ。古典的すぎて涙が出てしまう展開だが、オーソドックスでも怖いものは怖いのよ、という自信に充ち溢れた作品。ジャンルとしてはものすごく痛い系列かな?
「SAW」や「マーターズ」なども似たタイプで得体の知れない敵という存在はあるんだが、こちらは割と直球勝負。というか勝負したくないタイプ。いやあ、絶対こんな目に遭いたくないものだ。


この映画はヒットしたために続編「ホステル2」も同監督で2007年に公開された。前作ラストの後日談が映画の冒頭で出てきていきなりショッキング。今度は女子美大生3人組プラス1名で発端も展開も同じようなもの。やっぱりまんまとスロバキアに誘われてしまう。途中まではここまで前作を踏襲した2も最近では珍しい、とまで思ったが最後だけ大どんでん返し。いや、その展開も充分読めるけどね。
タランティーノ監督の「デス・プルーフ in グラインドハウス」にも似たラストの爽快感はあるものの、この主役以外だったら全く救いようのない映画だったろうね。
前作では少しだけしか説明されてなかった得体の知れない組織もある程度全貌が明らかになってゆく。こういう組織が現実にあってもちっともおかしくはないという気がする点がこの映画の恐ろしい部分かな。

しかしこの2本の映画を観て「絶対にスロバキア行きたくねー」と思った人は数知れずいるに違いない。実在する国で観光による収益もあるだろうにねえ。スロバキアの人にとっても別の意味で背筋の凍る映画だと言えよう。


さて、次はダニー・ボイル監督の「28日後…」について。「トレインスポッティング 」や「スラムドッグ$ミリオネア 」など大ヒットした映画を撮っているから、90年代以降のイギリスを代表する監督と言ってもいいだろう。
ストーリーとしてはこれまた割と単純なもの。感染症にかかった猿に噛まれた事によりレイジ・ウィルスなるものが人間の間であっという間に大流行。噛まれるとわずか数秒で凶暴なゾンビのような人間となり、見境なく人を襲って次々と感染者が増えてゆく。そしてロンドンは死者と感染者ばかりの街になってしまい、イギリスは壊滅状態となる。それから28日後に病院で目覚めた男が主人公だ。同じように何らかの理由で感染せずに生き延びた仲間に出会い、感染者から必死に逃げてゆくというサバイバル・ホラーだ。
「ナイト・オブ・ザ・リビンデッド」や「ゾンビ」「バイオハザード」などのパターンを踏襲してはいるもののさすがイギリス映画。上記のアメリカ物に比べるとずっとダークで主人公たちのバイタリティが低い感じがする。もっとうまい逃げ方もあるだろうに、と何回も思うもどかしさがある。逆に感染者たちの凶暴具合、その勢いは大変なもので、こんなのに追いかけられたらたまったもんではない。
この監督の特色なのか「トレインスポッティング 」「スラムドッグ$ミリオネア 」などと同じく冒頭に全力疾走するというスピーディな映像効果(上記の感染者から逃げる図)が印象的だ。
見た目も冴えず最初はダメ男に見えた主人公が愛する女のためにランボー(古い)並の活躍をするのはちょっと有り得ない展開だが、よくわからないウィルスによる感染の恐怖というのは誰にとっても非現実的なものではないはず。その辺の潜在的な弱点をよく捉えた映画だと思える。
また、映画の内容とは関係ないがイギリスを舞台としている事からイギリス軍のDPM迷彩服がふんだんに登場するのも個人的にはポイント高い。


この「28日後…」もヒットしたのでファン・カルロス・フレナディージョ(長い)なる別の監督でダニー・ボイルが製作総指揮という続編「28週後…」が2007年に公開された。
前回と同じ舞台設定だがこれは別なエピソード。しかも前作よりは格段に複雑な話。
28日後と同じ頃(変な表現)、別の土地で生き延びた夫婦と一時的な仲間たちがいた。しかし隠れ家に子供を匿った事から追ってきた感染者集団の襲撃を受けてしまう。そして全滅してしまうエセ・コミューンなのだが、この時に妻を見捨てて逃げた非道な夫が物語のキーマンとなる。
28日後騒動の後(変な表現)、壊滅したイギリスはアメリカ軍の統治により復興が進んでいて「まあ、もう大丈夫なんじゃない?」という程度の安全宣言が出された。これが28週後というわけ。生き延びた人たちは安全区域で米兵に守られて生活していて、最初に一人だけ逃げた夫も外国にいた二人の子供を引き取り、とりあえずはメデタシ。当然の展開だが「お母さんはどうしたの?」という問いかけに自分だけが生き延びたウソの顛末を語り、保身を図る嫌なおやじ。悲しむ子供は立ち入り禁止となっている自宅に戻り、それが元でまたしてもレイジ・ウィルスがあっという間に再発してしまう・・・。そして米軍は事態を鎮圧するために地区内の人間も感染者も全部焼いてしまおう、というコード・レッドなる非常手段を発令する。
主人公は二人の子供でサバイバル生活に突入してゆくが、それを助けるのが後に「ハート・ロッカー」で戦争ジャンキーみたいな爆発物処理人役を演じるジェレミー・レナーだ。しかしこちらでもあちらでも米軍の軍曹役という事でACU迷彩着用のどちらも同じ姿。巷ではACU迷彩が最も似合う俳優という事で通っているのかね?どちらかと言えば軍人のキリッとしたタイプではないしSNAKEPIPEによると「デュラン・デュランのサイモン・ル・ボンをふくよかにしたような顔」とのこと。この3人ともう一人女性兵士を加えた一団で感染者や米軍から逃げたり戦ったりするというのが大まかなあらすじだ。

前作では一旦助けてもらったイギリス軍こそが感染者よりも恐ろしい存在だったが、この続編ではアメリカ軍兵士でプロのスナイパーが味方、という事で多少の希望がある。がしかし、この兵士は軍の脱走者と同じ扱いという事で、敵の強大さという点では遥かにスケールアップしている。やっぱりね、と思う救いようのなさは「ゾンビ」や「サンゲリア」などと同類だね。


最後はジャウム・コレット=セラというあまり知名度はないと思われる若い監督の作品で「エスター」。この映画自体は結構怖いという評判だったので観た人も多いはず。

両親と2人の子どもがいる家庭。一見幸せに見えるが三人目の子供を流産したという悲しみが一家の影になっている模様。両親は孤児院に行き、養女に出来そうな子供を物色する。そこで偶然に出会った少女がエスターというわけだ。絵を描くのがうまく聡明な少女で、この子を引き取る事にする。兄妹の妹は難聴なんだが、エスターはすぐに手話を覚えて妹とも仲良くしてメデタシ。が、兄の方はどうやらこのエスターが気に入らなくて家にやってきた他人扱いする。エスターの服装が今風ではなくて一緒にいるのが恥ずかしいというような思春期にありがちなものだろう。それなりに馴染んできたエスターだったが、学校ではイジメに遭っていて家では母親や兄ともちょっとうまくいかないところがある。
まあそういう感じのはじまりでエスターの理解者は優しい父親と難聴の妹だけとなる、という部分が割ときめ細かく描写されていて、後半になってからはこのエスターの怖い部分が徐々に明らかになってゆく。

今時珍しいほど古典的ホラー要素を踏襲していて「最近のホラーは派手でショッキングなばかりで面白いのがないねぇ」などと思ってたROCKHURRAHもビックリのずっしりとした王道ホラーだった。今回ピックアップした中では最も飛躍がなくて、現実的な恐怖を追求した作品だと言える。しかし全然子供がいなくて寂しい夫婦というわけではなくて2人もちゃんと子どもがいるのに、それでもなおかつ、充分に物心ついた子供をさらに欲しがるこの両親の気持ちはちょっと理解出来ないなあ。

こんな感じでちょっと怖い映画を選んでみたが、最近は「ホラー映画苦手」と言っていたSNAKEPIPEも普通に平気で観れるようになって喜ばしい。変態サイコキラーが街中を脅かすような映画は大好きのくせにね(笑)。また書けるような題材があったら映画についても書いてゆこう。

尚、来週はrockhurrah.comのサーバーが大掛かりなメンテナンスを行うため、ブログは休ませてもらうかも。この場を借りて告知させて頂きます。

逸品制作日誌 フレクターカモ 折り畳み傘

【どこかに傘が隠れてるよ!わかるかな?】

SNAKEPIPE WROTE:

洋服そのものよりも帽子、バッグ、靴などの小物やアクセサリーなどの装身具が昔から大好きなSNAKEPIPE。
冬だったらマフラーと手袋なども加わるが、一年を通して重要と考えているアイテムに傘がある。
これ、意外と重要視してない人多いんだよね。
洋服はキメキメでも持ってるのが凡庸な傘だったりすると、がっかりしちゃう。
いくらお洒落にしていても傘で評価ダウンだなあ。(笑)
ただのビニール傘だと思っていてもかなり高額なこだわりの商品もあるようなので、一概には言えないけどね!

SNAKEPIPEは特別な傘を持っているわけでもこだわりがあるわけでもないけれど、その時の服装に合った傘を選ぶように心がけている。
最近はかなりミリタリーに傾倒しているので、国防色(オリーブドラブ)の傘というだけでは物足りなくなってしまった。
「カモフラージュの傘が欲しい!」
と思うのはミリタリー道に入った者なら誰もが感じることなのではないだろうか。(大げさ)
ただし、本気系の方なら雨の日でも傘なんかささないでポンチョやゴアテックスにするんだろうね。
軍支給の傘、なんて聞いたことないもん。(笑)
そのため実際カモフラージュ柄で売ってる傘は全てただのデザイン物。
それでもいいから欲しいと思い、念願叶って大好きなフレクターカモの折り畳み傘を手に入れることに成功!
わーい、わーい!(笑)

ちなみにこのフレクターカモというのはドイツ連邦軍の迷彩で英語読みした場合の言い方ね。
綴りはFlecktarnだからフレックターンというのが正式みたいね。
今一番気に入っている迷彩がこのタイプ。
キャップをかぶったりツナギを購入したりバッグを作ったSNAKEPIPEなので、ついには傘まで欲しくなったというわけ。
う、書いてたら全身フレクターじゃんね。(笑)

そして雨が降るのを待ちわびたこの夏。
東京地方、ものすごく雨が少なかったよね!
ついに9月、念願の雨。
フレクター傘の出番がやってきたのである。
がっ、なんとこの傘、雨漏りするじゃ~あ~りませんかっ!
頭の上からボタボタ水が落ちてきて脳天を直撃っ!
ばっちりメイクした顔にも雨水がつつーっ!
せっかく楽しみにしていた雨、フレクターの傘…。
ああっ、SNAKEPIPEの夢やいずこに…。

と、ここでくじけないのがSNAKEPIPE。
雨漏りする傘なら解体してオリジナル傘を作ってしまえ!
だってどーーーしてもフレクターの傘が欲しいから!
じっくり傘の作りを観察してみると驚くほどに簡単なのね。(笑)
ダメで元元、と作ってみた記録を今回のブログにしてみたよ。
前置き長い?(笑)

今回は布地が薄いのが原因で雨漏りするのではないか、と考えたため別の問題のない折り畳み傘にフレクターカモの布を縫い付ける方法を考えた。
そのためまずは2本の折り畳み傘を用意。
ずっと使ってなかった傘もこれでリサイクルできるね!
透かすとこんなに光が見えるってことはかなりの薄さね。
雨漏りするのも納得。(笑)
それにしてもこうして見るとやっぱりフレクター柄っていいわぁ~!
日本の自衛隊が使用しているカモと間違えないように注意!(笑)
まずはフレクターカモの傘を解体してみよう。
ほとんどが手縫いで処理されているので、外すのはとても簡単。
はさみで糸を切るだけだからね。
外して布と骨組みだけになったところ。
ここまでの所要時間約10分程。
布を切らないようにすれば問題なし!
頭の部分(?)はネジ式になっているので、クルクル回せば外れる。
ここから縫い付け作業開始。
エンジ色の傘の頭部分を外してフレクターの布を付けて合体。これで上だけは固定される。
本来は裏の骨組みと布を縫っていくんだろうけど、今回はその上からなので、こんな感じ。
1本の骨に対して3箇所縫ってみたよ。
最後の部分の縫いつけ。
ここまでくればあと一歩!
足で柄の部分を押さえての手縫い作業は結構腰にくるね。
頑張れ、SNAKEPIPE!(笑)

結局全てを針と糸だけを使って手縫いで仕上げてみた。
出来上がりがトップの画像ですわ。
写真だと判り辛いけど、表面がフレクター内側はエンジ色という面白い傘になった。
2枚になったことで厚みと重みが増したのが難点かな。
折り畳み傘の良い点が減った、ということだね。(笑)
それでもフレクターの傘をさしたいんだから、SNAKEPIPEとしては大満足。
今度はウッドランドの傘も同じようにして作ってみようと思っている。
早く雨降らないかな!(笑)

ROCKHURRAH視察団/豪雨の古着屋倉庫編

【千葉の奥地(?)に突如として現れるアメリカ古着の殿堂】

ROCKHURRAH WROTE:

今年はいわゆるシルバーウィークがなかったので9月24日を無理やり休みとし、4連休となったのがちょっと嬉しい。その連休初日の秋分の日にかねてから行ってみたかった場所にようやく出かける事が出来たので書いてみよう。
それは千葉県にある古着屋の倉庫なんだが、一般にも開放していて普通に買い物が出来るという場所だ。前は近場に店舗があったので気軽に見に行く事はあったが、何と言うか・・・価格も品揃えも中途半端で、行った回数の割にはあまり買った記憶がないという店だった。ところが千葉県に数店舗あった店もいつの間にか閉店してゆき、現在はショップの方はひとつくらいしか残ってなくて、代わりにテナント料金や運営費を安く抑える事が出来るためか、辺鄙なところにある倉庫を開放してるというわけだ。

ROCKHURRAHもSNAKEPIPEも古着は大好きなんだが、上記の店よりはもっと近くにもっと安くて気軽に買える店があるのでちょっとした買い物はそこでばかり、というのがここ数年の傾向だ。しかもただでさえ安いのに、その店は毎月のようにセールのハガキを律義に送ってきてくれて、ハガキ持参だとさらに半額とかになってしまう。ちょっとしたアウターやパンツなど、ヘタしたら500円以下くらいで買えてしまうのは二人にとっては魅力だからね。ざっと計算してみても一年間でセールじゃない期間の方が圧倒的に少ないんじゃないかと思えるくらい(笑)。無理やり在庫一掃セールやってるけど、ここもいつ潰れてもおかしくは状況だな。
そのようにリーズナブルな店は近くにあるんだが、これは海外買い付けの古着屋とはやはり違っててあくまでも古着屋っぽいリサイクル屋の一種なんだと思える。だからたまにはちゃんとアメリカの匂いのする古着(?)を見にゆこうよ、と言うのが今回の古着屋倉庫に出かけた趣旨なのだ。

もう一年以上前だったか、ネットでこの古着屋倉庫を見つけたんだが、駅からかなりの遠さだったので「行ってみたいね」とは言ってたもののなかなか簡単に行ける場所じゃなかった。それが今年になって移転したとの事で、調べてみたら比較的行きやすそう。連休だし季節もようやく良くなってきたのでROCKHURRAH視察団も行動しやすい、こりゃ行くっきゃない(死語)。

さて、前日までは猛暑だったのに天気予報ではその日は雨、しかもかなり気温も低いじゃありませんか。暑さ嫌いのROCKHURRAHとSNAKEPIPEにはうってつけの天気だ。朝起きると確かに予報通り気温は低いし雨もポツポツ降っている。でも行くという予定だったので取りあえず秋物の装いで家を出た。最近の傾向で二人ともミリタリーの動きやすい格好ね。

その古着屋倉庫は千葉県船橋市と柏市の中間あたりに位置する鎌ケ谷市、新鎌ケ谷というところにあるらしい。船橋から東武野田線という電車に乗って10分程度だ。千葉在住歴が長く’I Love 千葉’のSNAKEPIPEと違ってROCKHURRAHは千葉でも行った事ある場所はほとんどなくて、土地勘も全くない。知り合いの会話などで鎌ケ谷とか鎌ケ谷大仏とかの単語は知っているが、それがどこにあるのかさえ今日まで知らなかったよ。

冒頭で「ようやく出かける事が出来た」などと書いてる割には非常にあっさりと新鎌ケ谷に着いてしまった。普段どんだけ腰が重いんだよ?と突っ込まれてしまうね。
しかし駅の改札を出た途端に雨は本降りどころかどしゃ降りになってしまい、いきなりの挫折。待ってれば弱くなるのかさらに強くなるのか?この辺の状況判断は難しいところ。取りあえず駅前のショッピング・センターに行って雨宿りすることにした。この天気だし駅前も当然のようにひっそりとしていたんだが、ショッピング・センターの中は思ったよりもにぎやかで少しビックリした。この辺りは車を持ってないと生活が大変不便な地域らしく、自宅から車でほとんど濡れずに来れるこういう場所は大雨でも関係ないんだね。
しばらく雨宿りすると雨はさっきより弱くなったかのように感じた。今がチャンスと外に出て、これから徒歩15分の道のりを歩くことに。がしかし、ほんの少し歩いただけでさっきの雨を遥かに凌駕する大雨、風も台風並みでとてもじゃないが歩いてられない。下半身が完全にびしょ濡れのイヤな状態で目の前にあったユニクロに避難する。と言うかそこ以外避難出来る場所がなかった。
この日の千葉は最高気温25℃との事で前日よりマイナス7℃の予報だったんだが、雨に濡れた事もあり体感はそれよりもずっと寒い。朝にECWCSゴアッテックス・パーカーを着て行こうかどうか悩んで「大げさだから」止めたのが悔やまれて仕方ない。ユニクロにも「水を防いで汗などの水蒸気を逃す」というゴアテックスと似たような素材のパンツが置いてあり、ただこの雨のためだけに買おうかとさえ思ったほど。SNAKEPIPEも寒いのか、もこもこ素材のフリースなんか見てるよ。

やっと少し小降りになったかのように見えたので再び歩き始める。あのまま歩き続けてたら絶対に風邪を引いたに違いない。
古着屋倉庫があるのは国道464号線の鎌ケ谷霊園の裏手だそうだからその国道沿いを歩く。駅からさほどの距離でもないのに広がる森林地帯。歩道もちゃんとあるんだが横はほとんど山の中というすごい風景だ。福岡のど田舎生まれのROCKHURRAHだからこういう風景は割と見慣れているはず。しかし千葉県の中でも比較的都会の船橋と柏の間にこんな原生林が広がっているとは予想外だ。人っ子一人もいない(この天気じゃ当たり前)大雨の中を二人で歩いていると何だか現実離れした感覚に襲われる。大雨もずぶ濡れも大嫌いなんだが、ここまで凄いともう笑うしかない。

ようやく辿り着いたのが一番上の写真にある「古着ファクトリー」なるお店なんだか倉庫なんだかわからないところ。向かいは何と海上自衛隊下総航空基地。直訳すれば古着倉庫ではなく古着工場となり少し意味不明なんだが、新品の服を古着加工する機械が置いているわけではない。単なる普通の倉庫だ。思ったほど巨大倉庫ではなく膨大な古着が山のように積まれているわけでもない。ちゃんとハンガーに整然とかけられて値札も付いている。薄暗い店内にはメンズ、レディース、キッズのコーナーがあり、ボロの山の中から掘り出し物を探し当てるというような苦労は全然なさそう。それはそれで楽しそうだけど、この大雨で全身水浸しの体じゃそんな事は不可能だからね。取りあえず一番奥の一角にミリタリーのコーナーを発見して真剣に探し始める二人。本当の本物かどうかを完璧に見極めるのは難しいがそれなりの品質(割と良い民生品)のものはすぐに見つけられる。現行ACU迷彩の納入メーカーである米国PROPPER社製のものとか、これは他所よりかなり安いんでないか?と思えるものを早速手に入れた。ん?これ古着とは言えない?
そのすぐ近くになかなか格好良くてデザインが変わってるシングル・ライダース・ジャケットを発見し、袖を通してみる。うーん、惜しい。丈や袖はピッタリなのに前のダブルジッパーがきつくて閉められない。悔しがるROCKHURRAHを尻目にSNAKEPIPEが試着してみると丁度良いではないか。名誉のために言っておくが決してデブなわけではなく、これは実はレディースのライダース・ジャケットだったのだ。一応袖が通せるだけでもROCKHURRAHのスリムさがわかってもらえよう(笑)。普段はあまり見向きもしないブランドだがハーレー・ダビッドソン製で柔らかく分厚い本革で何と5800円。古着のライダース特有の硬さや汚さもなく裏地もきれいな逸品。こりゃかなり安いと思えるので購入決定。
しかしこの日の大雨で気温がかなり肌寒い事もあって、二人ともほとんど冬物、防寒着あるいは雨をしのげるようなモノばかり探しているありさま。着ていったナイロンの上着が濡れたままで寒いためにその場しのぎの着て帰れるものまで購入してしまった。

来た時にはほとんどいなかったお客だがいつのまにか大盛況の店内となっている。非常に不便な場所で地元住民以外はほとんど知られてないような倉庫なのに。正体不明の悪そうなアジア人の集団とかもいてデンジャラスな雰囲気たっぷり・・・かと思いきや人の前を通る時は軽く会釈して意外と礼儀正しい若者たち。日本人の子連れ主婦とかの方がよっぽどマナー悪いよ。敬愛する鳥飼否宇先生の著作じゃないが「このどしゃぶりに古着ファクトリーは」予想外の繁盛だったと言える。

しかしまたしても歴史に残るほどの超大雨(大げさ)。倉庫の床にまで外からの雨が侵入してこりゃ半端じゃないよ。屋根を叩く激しい雨音、遠くで雷鳴も轟いている。そろそろ帰ろうかと思った矢先にこれじゃ出るに出られなくなってしまった。すでに見るものもなくなったSNAKEPIPEは疲れた様子で佇んでいる。そこまで広い倉庫じゃないし二人にとって関係ないジャンルの古着も多数だから確かに手持ち無沙汰にもなるわな。

辛抱強く待ち続けた甲斐もあって遂に、遂に雨が小降りになったので意を決して外に出る。来たのが昼くらいで3時間以上もこの倉庫に居続けた事になるのか。二人ともお疲れ様。
帰りは道もわかってるので随分速く駅前に戻る事が出来た。しかし昼も食べずにもはや夕方、遅過ぎる昼食にやっとありついて生き返った気分になった。家に帰った後で知ったのだが何とこの日の雷雨で千葉県の祭会場、みこしに落雷、34人が重軽傷という事故があったらしい。

やたらに「やっと」とか「ようやく」という言葉が多かった今回の記事だが、すんなり行き帰りが出来なかったので仕方なくこういう表現ばかりになってしまった。

今回はあまりに天候が悪過ぎてかさばりそうなものは買わなかったが、この薄暗い倉庫自体は非常に魅力的な場所で、また違う機会に行ってみたいと思った。表の旗に「古着お売り下さい」などと書いてるからリサイクル的古着も多いんだろうが、本格的なアメリカの古着ブランドも多数なので目利きさえ出来れば掘り出し物も見つかるだろう。
前日まで猛暑日だったからかどうかは不明だが、冬物がもう少し多くなれば個人的には嬉しい。もう少し寒くなったまた行ってみよう。I Shall Return.
しかし天候に恵まれないROCKHURRAH一家の事、今度はよりによって大雪の日に出かけたりしてね。

田中一村展~新たなる全貌~

【千葉市美術館前の柱に貼られていたポスター】

SNAKEPIPE WROTE:

敬老の日を含む3連休、猛暑も収まってキレイな秋晴れ。
お出かけするには持ってこいですな!
行楽の秋、食欲の秋、芸術の秋!(笑)
ということで出かけてみたのが千葉にある千葉市美術館
SNAKEPIPEはアイラブ千葉なのに、この美術館のことは全然知らなかったよー!
現在開催しているのが「田中一村 新たなる全貌」展である。

ここで田中一村について簡単にご紹介。
1908年栃木県生まれの日本画家。
幼少の頃より水墨画に才能を発揮し「神童」と呼ばれるほどの画力を持つ。
東京美術学校(現:東京芸術大学)中退後、千葉に暮らし50歳で奄美大島に移住する。
1977年に69歳で亡くなる。
没後にNHKの「日曜美術館」の紹介で、一躍脚光を浴びる。

「日曜美術館の紹介で脚光を浴びた」のが1985年の番組だと思うんだけど。
実はSNAKEPIPE、その番組観てるんだよね。(笑)
その後、SNAKEPIPEもすっかり一村ファンになっちゃったのね。
日本画と聞いた時に思い浮かべる画風とはまるで違う、斬新な色使いや構図。
もちろんモチーフも南方の動植物だからエキゾチックだし。
日本画家というよりは現代アートに分類したくなる画家なんだよね。
以前書いた松井冬子の先輩って感じか?

千葉駅から歩くこと約15分。
国道126号沿いに千葉市美術館はあった。
今まで行ったことがある美術館って建物として独立している場合が多かったので、まるでマンションのような美術館って初めてかも。
美術館前の柱に開催している田中一村のポスターが貼られていなかったら、素通りしちゃったかもしれないね。(笑)
この建物は区役所や図書施設との複合施設になっているため、美術展は7階と8階の2フロアで開催されている。
やっぱりこの美術館、変わってるね!

千葉駅から歩いている時にはガランとして、人通りが少なかったのでとても快適な散歩を楽しめたんだけど。
田中一村は大人気!
これだけの人、一体どこから来たの?というくらい館内に溢れる人の多さにびっくり!
恐らく美術館側もこんなに人が多くなるとは予想してなかったのでは?
そしてその観客の約9割がご高齢の方!
もしかして敬老の日にちなんで何かイベントがあったの?と思ってしまったほど。
初めて行った美術館だから他の企画の時がどうなのか分からないけど、元々年齢層が高い美術館なのかもしれないね。

今回の田中一村展は
「一村ゆかりの地にある美術館が共同で本格的に取り組む初めての回顧展で、近年の調査で新たに発見された資料を多数含む約250点の出品作品による、過去最大規模の展観となります」
と書かれている通り、かなり見ごたえのある展覧会だった。
神童と言われた子供時代の作品から始まり奄美大島に移り住むまで、という時系列で構成されていた。
田中一村は20年間くらい千葉に住んでたことがある、というのが今回の企画の趣旨(?)で千葉市美術館の開館15周年特別企画になってるんだよね。(笑)
そのため「千葉時代」として、昭和13年から33年までの千葉を描いた作品が展示されている。
この時代の作品の中にはすでに、後の奄美時代のようなデザインや構成の片鱗を観ることができる。
北欧のテキスタイルみたいな色彩とかデザインなんだよね。
日本人離れした感覚を持っていたんだろうね。

この千葉時代から田中一村は写真撮影も始めていたらしい。
オリンパスフレックスの二眼を使って、恐らくは絵のモチーフ用の写真を撮っている。
自分で焼付けもやってたというから、写真も好きだったみたいね。

とても印象的だったのが数多く残されている襖絵。
数少ない理解者から依頼を受けた、個人宅の襖に描かれた絵である。
襖4枚とか8枚続きを一枚の絵として完成させてるんだけど、この構図が素晴らしい。
SNAKEPIPEが特に気になったのが「花と軍鶏」と題された襖8枚に描かれた作品。
これは軍鶏師(という職業なのか?)の家用に、タイトル通り軍鶏2羽と花を描いている。
非常に興味深いのはその構図。
もしかしたら日本画の世界ではそんなに珍しくないのかもしれないけど、SNAKEPIPEにはとても斬新に映った。
こんな襖のあるお宅ってどんな豪邸なんだろうね?(笑)

観終わって帰り道のこと。
SNAKEPIPEはとても不思議な体験をしてしまった。
ROCKHURRAHと普段通りに会話をしたり歩いたりしていたはずなのに、途中で意識が飛んでいる!
目覚めながらに眠っていたような、夢見ていたような。
そう、脳内トリップ!
これ、すごい!
田中一村の絵にはトリップ効果があるのかも!(んなバカな)
ただし「すごい」と思っているのはSNAKEPIPEだけで、話しかけても反応がヘンだったのを目の当たりにしたROCKHURRAHには迷惑なだけだったみたいだけど。(笑)

田中一村は今でいうところのスローライフというのかな。
世間の評価などを気にせず、自分のペースで好きな作品を描き続けた画家なんだね。
没後に評価された、というところがちょっと悲しいけどご本人にとっては描き続けることが幸せだったのかもしれないしね?
南方の画家というとゴーギャンを思い浮かべるけど、SNAKEPIPEは作風や没後に評価されたという部分も含めてアンリ・ルソーに似ていると思った。
アンリ・ルソーも大好きな画家の一人だしね!
そして奄美大島と言えば忘れちゃならない我等が鳥飼否宇先生!
奄美の自然を愛し移住するところは田中一村と鳥飼先生、よく似てらっしゃる!
奄美、いいなあ。
一度行ってみたいなあ!(笑)