好き好きアーツ!#10 Fernando Meirelles

【3作品のポスター】

SNAKEPIPE WROTE:

今回の好き好きアーツはブラジルの映画監督、フェルナンド・メイレレスについて特集してみたいと思う。
アメリカやヨーロッパの映画には馴染みがあるけれど、南米の映画監督で即答できるのはアレハンドロ・ホドロフスキくらいだろうか。
アジアの監督についても有名人くらいしか知らないし。
意外と範囲が狭いSNAKEPIPEなんだね。(笑)

簡単にフェルナンド・メイレレスについてご紹介。
フェルナンド・メイレレスは1955年サンパウロ生まれ。
消化器病学者の父と一緒にアジアや北アメリカなどに赴き、様々な文化や土地に触れる。
12歳の時にプレゼントされたムービー・カメラで映画を撮り始める。
サンパウロ大学で建築を学んだ後、テレビ局で働き、CMディレクターになる。
1997年にパウロ・リンスの本を読み、映画化する。

ということで、メイレレスはずっとテレビの広告業界にいたみたい。
映画監督としては2002年がデビューだけど、ずっと映像の仕事をしてたんだね。
これを知ってなるほど、と納得。
その頃の経験がメイレレスの映画の特徴になっているように思えるからね。
メイレレスは今まで3本の映画を監督している。
順番にまとめてみようか。
※ネタバレの部分があるかもしれないので、未見の方は気を付けて下さい。


メイレレス監督の処女作は「シティ・オブ・ゴッド」(原題:Cidade de Deus 2002年)。
前述したパウロ・リンス原作の同名小説の映画化で、リオ・デ・ジャネイロのストリートチルドレン達の実話を基に描いた作品である。
映画の印象としてはデニス・ホッパーが監督した「カラーズ」(1988年)や2pacが出演していた「ジュース」(1992年)の雰囲気に近いかな。
スラム街で生まれた子供が成功するためには悪事に手を染めるしか方法がない、という物語。
盗む、騙す、脅す、殺しても奪う。
しくじったら自分が殺されるだけの短い人生。
本当だったら小学校に通うような年齢の子供が銃を手にする。
麻薬に手を出し荒稼ぎをする。
縄張り争い、仲間割れ、殺し合い、と権力を手中に収めた後も抗争は続く。
また新たな子供達が同じことを繰り返し、その歴史は絶えることがない。

「シティ・オブ・ゴッド」が単なるギャング系の映画ではないユニークな点は、そうしたギャング達だけに目を向けたのではなく、フォトジャーナリストを目指していた子供(ブスカペ)が主役になっているところである。
子供の頃に殺された少年を撮影している場面に出会い、それ以来カメラの虜になってしまうブスカペ。
新聞社に入り下働きをするブスカペにチャンスが訪れる。
ブスカペが撮影したギャング達の集合写真が新聞の一面に採用されるのだ。
観ていてとても誇らしい気分になり、嬉しくなってしまった。(笑)
自分の撮影した写真が認められたような感じがしたからね!
最後にブスカペは感情を殺し冷酷な目で、殺害現場の撮影を続ける。
ブスカペもプロのフォトジャーナリストになったのかな、と考えさせられるシーンだった。

この映画がメイレレス監督の処女作だけれど、元CMディレクターという経歴の持ち主だけあって、スピード感のあるカットやストップモーションが新鮮だった。
CM制作って短い時間の中で鑑賞者に商品の説明をして購買意欲を高める、という職業だもんね。
その技術が生かされていたせいか、映像がとても解り易くて観客に親切な映画なんだよね。(笑)
悲惨な話の中にもユーモアを感じることができたのも、もしかしたらこのカメラワークのおかげかもしれない。
制作費が少なくても、出演者に大物俳優が起用されていなくても、こんなにパワーのある映画ができると証明してくれる監督って素晴らしい!
ロバート・ロドリゲス監督の処女作を観た時と同じくらいの衝撃を受けてしまった。
メイレレス監督に興味が湧いたので、2作目も鑑賞することにする。


2作目の「ナイロビの蜂」(原題:The Constant Gardener 2005年)はイギリス人作家ジョン・ル・カレの同名小説の映画化である。
黒人男性と白人女性が恐らく夫と思われる白人男性に見送られ、湖で車が横転するシーンから始まるこの映画。
誰がどういう状況で事故に遭遇したのかも分からない。
冒頭に映画途中の映像を持ってくるところは前述の「シティ・オブ・ゴッド」と同じ手法である。
一体あのシーンは何だろう、と考えながら鑑賞を進める。

どんな時でも自分が納得するまで物事を徹底的に追求する意志の強い女性、テッサ。
いくら個人主義が徹底している欧米諸国でも、テッサくらい正義漢丸出しで、はっきりさせないと気が済まない女性は珍しいのでは?
そのテッサに議論をふっかけられたことが元で知り合いになる主人公ジャスティン。
外交官であるジャスティンがナイロビに転勤になる時、まだ知り合って間もないテッサが「私も一緒に連れて行って欲しい」と頼む。
困惑するジャスティン。

場面はいきなり原色が鮮やかなケニアのナイロビになる。
妊娠中のテッサが映り、やっぱり一緒にナイロビに行ったんだなということが判る。
ジャスティンとテッサは結婚し、幸せな家庭を築いているように見える。
が、テッサ宛のメールを偶然見てしまったジャスティンは、テッサが自分の知らない何事かに関わっていることを知ってしまう。
スラムの医療施設を改善する救援活動を行っていたテッサは、2日の日程でナイロビからロキへ旅立つ。
ここでやっと冒頭のシーンになる。
一緒に活動をしている黒人医師アーノルドとテッサを、夫であるジャスティンが見送っていたことがようやく判る。
そして次に車が横転するシーン。
テッサは殺されていたのである。
一体テッサに何が起こったのか?
何故殺されなければいけなかったのか?
妻の死に疑惑を感じたジャスティンは、真相を究明するために調べ始める。
タイトルの「ナイロビの蜂」の意味もここで解るのである。
そこにはある巨大な陰謀が隠されていた…。

「知ったら殺される」という本当にありそうな話でとても怖かった。
どうして夫にだけでも真相を告げなかったのか、と何度も思ってしまったSNAKEPIPE。
夫にも危険が及ぶかもしれない、と考え何も言わなかったのかもしれないけれど、妻が殺害された理由に全く心当たりがない残された夫にとってはたまらないよね。
真相究明に奔走しているジャスティンが、亡き妻との楽しかった思い出を脳裏に蘇らせたり、妻の幻影と会話するシーンはせつなかった。
そしてあのラスト。
他に選択肢はなかったのだろうか?

「シティ・オブ・ゴッド」にもスラムが出てきたけれど、今回の「ナイロビの蜂」にも同じようにスラムの描写がある。
貧困で不衛生な環境なのにもかかわらず、子供たちは元気いっぱいに笑っている。
キラキラした子供たちのキレイな目。
メイレレス監督はスラムの描写が得意ね。
スラムの中で逞しく生きる人間を描きたいんだろうな。

アフリカの現状、夫婦の愛、製薬会社の陰謀などの要素が混ざり合い、「ナイロビの蜂」の映画ジャンルを特定することは難しい。
サスペンスでも、恋愛モノとして観てもいいと思うけれど、どの角度から鑑賞しても考えさせられる重厚な映画だと思う。


メイレレス監督の3作目は「ブラインドネス」(原題:Blindness 2008年)。
ポルトガルの作家ジョゼ・サラマーゴの小説「白の闇」を映画化した作品である。
こうしてみると、メイレレス監督は3作共小説を元に映画を作っているんだね。
どれも原作を読んでいないSNAKEPIPEなので、映画との相違やら表現についての言及ができないのが残念!

映画はある日本人男性が運転中に突然目が見えなくなるところから始まる。
視界に映るのは白一色だけの世界。
そしてその症状は診察をした眼科医、日本人男性の妻、運転席から男性を助けた通りすがりの人など日本人男性と関わった人々に次々と感染していく。
急激に増える感染者は施設に収容され隔離されてしまう。
感染者が増加しているのも関わらず、施設内にはビデオメッセージが流れるのみで介護の支援もなく、更に人数分の食料すら配給されなくなっている。
そんな時、感染者の中から施設内を支配しようとする男が現れる。
「王」を名乗る人物は食料を管理し、引換えに金品や女性を要求する。
服従するしかない他の感染者達。
しかしその独裁社会は長く続かず、反乱が起きる。
火が回った隔離病棟から逃げ出した感染者達は外の世界に向かうが…。

映画は3部構成になっている。
1:謎の失明疾患の感染が広がる様子
2:隔離病棟内部について
3:隔離病棟外の状況
それぞれのパートごとに恐怖が描かれているのだ。

第1部では、原因不明の失明に恐怖を感じた。
五感のどれを失っても困るけれど、SNAKEPIPEにとってはやっぱり視覚を失うことが一番怖いと思うからね。
急に見えなくなる、と想像しただけで心臓がバクバクするほど。
シャマラン監督の「ハプニング」やダニー・ボイル監督の「28日後」も同じように感染が広がっていく映画だったけれど、「ブラインドネス」は意識や感覚はそのまま残っているところが余計に性質が悪い。
失明を自覚し、受け入れて生きなくてはいけないからね。

第2部、隔離病棟のシーンで怖かったのは人間の欲。
独裁を始める「王」は支配欲、物欲、食欲、性欲とすべて「欲」が付く物を求める。
無法状態になった施設内で欲望の赴くまま行動する「王」とその仲間。
ルールのない世界ではこんな風になっちゃうんだ、と人間の卑しさを目の当たりにすることになる。
秩序や社会性を失い、本能を剥き出しにした悪知恵の働く動物になってるから手に負えないよね。
人が人として生きるとは、と考えさせられる。
隔離病棟内部の話は非常に不快だった。

第3部は隔離病棟から出た外の世界で遭遇する恐怖。
ネタがバレバレになるからここからはあまり書けないんだけどね。(笑)
スーパーマーケットの描写はまるでゾンビ映画!
ワラワラ、ヨタヨタと近寄ってくる人の群れ。
ここでも怖いのはやっぱり人間だった。
自分の生存のことしか考えない、エゴイズムしかない人間達。
ここも隔離病棟と同じ本能の世界になってたんだね。

メイレレス監督は、隔離病棟場面と最後の外の世界を得意のスラム的描写で見せた。
元々はスラムじゃないのに、スラム化しちゃった映像は非常にリアルだった。
人目を気にしなくなると、本当にあんな状態になりそうだもんね。
人から見られることを意識するのは大事なことなんだね。(笑)

「ブラインドネス」には配役の名前がなく、「最初に失明した男性」のような呼称しかないのがユニークだった。
メイレレス監督は「それまでの過去は重要ではなく、目が見えなくなるという状況下で、人物たちが現在進行形で体験することが重要」だったために役名を排除したとインタビューで答えている。
役名を指定しないことで匿名性が生まれ「誰にでも起こることですよ」と言われているような気もする。
この映画に日本人俳優が出演していて、時々日本語が使われていたので余計にそう思ったのかもしれない。
それにしてももう少し演技力のある俳優はいなかったのかな?
日本人俳優のキャスティングに少し不満を感じたSNAKEPIPEだった。

映画は何が原因で失明したのか、どうして眼科医の妻だけが感染しなかったのかなど不明のまま終わってしまう。
この映画にはいくつもの「何故?」「どうして?」が存在しているけれど、そういった謎を解明することが目的の映画ではない。
メイレレス監督は「何かしらの物事が引き金となって、人間が獣のような原始的な本性を露わにする」ことを描きたかったようだからね。

メイレレス監督の次回作は性道徳を問う問題作らしい。
きっとまた「人間の本性」について語られるんだろうな。
新作が待ち遠しいね!

生誕100年 岡本太郎展

【岡本太郎展のポスター】

SNAKEPIPE WROTE:

5月8日まで東京国立近代美術館岡本太郎展が開催されている。
生誕100年ということで充実したコレクションが観られるようなので足を運んでみた。
岡本太郎については特に詳しく知っているわけではなく、太陽の塔の作者だということ、青山に岡本太郎記念館がありそこのカフェでお茶を飲んだことがある程度である。
まとまった数の作品を観るのは今回が初めて。

以前東京国立近代美術館に行ったのがいつだったのか思い出せない。
カンディンスキーだったかゴーギャンだったかを観に行ったような?
東京メトロ竹橋駅を降りてほんの2、3分で美術館に到着。
美術館の向いには皇居のお堀が広がり、満開の桜がとても美しい。
この日は非常にお日柄が良く、眩しいくらいの陽射しと上着が要らないような気温でお出かけ日和。
岡本太郎展は大盛況だと聞いていたけれど、この日は余計に拍車がかかったようで大混雑の中での鑑賞となってしまった。
六本木にある国立新美術館でも感じたことだけど、どうも「国立系」と命名したくなるお客さんが多いんだよね。
これがちょっと苦手なんだな。(笑)

岡本太郎については、「芸術は爆発だ!」に代表される、あのキテレツな言動からご存じの方が多いアーティストだと思うけれど、ここで簡単に説明をしてみようか。
岡本太郎は1911年に漫画家である父・岡本一平と小説家である母・岡本かの子との間に生まれる。
1930年から1940年までパリに滞在。
この時パリでシュールレアリズムの立役者であるアンドレ・ブルトンジョルジュ・バタイユらと交流。
パリ大学で美学・哲学・心理学・民俗学を学ぶ。
1940年帰国、兵役と抑留を経験。
1946年から1996年に亡くなるまで精力的に作品を発表する。
岡本太郎の経歴の中でSNAKEPIPEが注目したいのは、芸術家の両親から生まれた点。
そしてパリ時代にシュールレアリズムの真っ只中に身を置いていた点かな。
本人の資質はもちろんだけれど、既成概念に囚われず自由奔放な反逆精神を育んだのはやはり家庭の力が大きいと思うからね。
そして18歳という多感な時期でのパリは、非常に刺激的だったはず。
シュールレアリズムの洗礼を直に受けるなんて、羨ましい限り。(笑)

会場に入ってまず最初に目に飛び込んできたのが立体作品。
まるで仏像を展示しているかのように、赤い布の上でライトアップされていて面白い。
岡本太郎と聞けば、恐らくほとんどの人が絵画よりも立体作品を思い浮かべると思うので、この空間に入ると
「ああ、岡本太郎展に来たな」
と思うこと間違いなし。(笑)
10体程の、思い思いの動きをした立体作品はとてもユーモラスだった。
サイズが割と小さめだったので、どれか一体お持ち帰りしたかったくらい。(笑)

立体作品の部屋から後は「~の対決」というタイトルが付けられ、年代順に7つの章に分けられて展示されていた。
前述したように岡本太郎にはパリ時代という10年間がある。
この時期を第1章<ピカソとの対決>としてまとめられていた。
岡本太郎は1932年にピカソの絵を観て感動、そして乗り越えなければいけない目標として定めたらしい。
ピカソに立ち向かうと決意するとはすごいよね!(笑)
ただこの時期の岡本太郎が残しているのはシュールな印象の油絵。
素敵な曲線が描かれていて、とても好きな雰囲気だった。

第2章は<「きれい」な芸術との対決>。
ここでは1946年頃からの作品がまとめられている。
パリ時代のシュールな雰囲気とはガラリと作風が変化し、一言で言うとアヴァンギャルドになるのかな。
黒のバックに赤色が特徴的な絵が多く、強いメッセージ性を感じる。
けれど、どうやらメッセージの伝達を岡本自身は望んでいなかったようだ。
きっと己の思うまま、好きなように描いていたらこうなった、という解釈が一番良いのかもしれないね。
上の写真にある「森の掟」という作品には背中にジッパーを付けた生き物が描かれていて、ジッパー好きのSNAKEPIPEにはたまらない。(笑)
派手な構図とタッチに驚きますな!

第3章は<「わび・さび」との対決>。
縄文土器を観て戦慄し、日本の美を再発見する岡本太郎。
東北や沖縄に出向き、各地の風習や祭りなどを取材し執筆活動を行う。
それらの影響を受けたと思われる立体作品や絵画は更に力強く印象的だ。
赤のバックに黒い線がうねるように描かれている「装える戦士」という作品は、まるで梵字のようで、書とも絵画とも呼べるようで興味深い。
このポストカードがあったら欲しかったのにな。
そうそう、ミュージアムショップで楽しみにしていた海洋堂制作のフィギュアが販売終了していたのも残念だった。
ガチャガチャ、やりたかったのになあ!(笑)

第4章は<「人類の進歩と調和」との対決>。
ついに時代は1970年の大阪万博。
そう、あの有名な太陽の塔である。
SNAKEPIPEは未だに大阪に行ったことがなく、当然ながら太陽の塔の現物も観たことがない。
写真や映画「20世紀少年」の中で観たことがあるくらいか。(笑)
太陽の塔は今観てもその斬新さに驚くし、世界的に経済大国となった日本を象徴するイベントのシンボルとして岡本太郎を起用した、ということに再び驚いてしまう。
どういう経緯があって太陽の塔の建設が決定したのかはよく知らないけれど、1970年に約70mという高さの、顔デザインの塔はかなり衝撃的だったのではないだろうか。
その決定をした当時の役員(委員?)に拍手を贈りたいくらいである。
あの塔を観た世界の人はインパクトの強さはもちろんのこと、日本の奔放さ、自由さにびっくりしたのではないかと思う。
原初的な祭りをイメージして作られた、というこの塔。
いつか現物を観てみたいものである。

第5章は<戦争との対決>。

太陽の塔建設と並行して進められていたという、メキシコオリンピックにあわせて計画されたホテルの壁画。
「明日の神話」というタイトルで、原爆で焼かれても悲劇を乗り越えようとする力を表現した作品らしい。
岡本太郎版のゲルニカ、という感じかな?
今回展示されていたのは下絵だったけれど、それでも幅11mもあり余程遠くから鑑賞しないと全体像を把握できなかった。
作品の力強さは上の小さい画像からでも充分伝わると思う。
ただ立ち尽くし見つめることしかできなかったSNAKEPIPEである。
この壁画のメキシコ版、現在は渋谷に設置されているとのこと。
まだ実物観ていないので、今度渋谷に行った際に鑑賞してこよう!

第6章は<消費社会との対決>。
ここでは展覧会以外で発表された作品群が紹介されていた。
ある年齢以上の方だと懐かしい「グラスの底に顔があったっていいじゃないか」のロバートブラウンのグラスの展示や「宇宙人現わる」という特撮SF映画に関する仕事などを観ることができる。
「芸術活動を広汎な大衆と結ぶことに意欲的だった」と書いてあり、そこが岡本太郎の面白いところだなと思った。
芸術を閉ざされた、ある一部の人にだけ理解されれば良しとするアーティストが多いように思うので、この岡本太郎の姿勢には驚嘆する。
ただし、最近よく見受けられる「アーティストが自分の作品を安易に商品化」している現状には悲しみを覚えるSNAKEPIPEだけどね。

第7章は<岡本太郎との対決>。
タイトルに行き詰まったのか?(笑)
最後の部屋に展示してあったのは全て「眼」の絵!
壁一面にある複数の眼にさらされていると、落ち着かない気分になる。
イメージ的には「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる目目連っていう妖怪みたいな感じね。
よくもこれだけ繰り返し同じテーマに取り組んだな、と感心してしまうほど大量の眼。
「執拗に目玉を描き込んでいるのは、新しい世界に呪術的にはたらきかける戦慄的な現代のマスクを創造しようとしているため」
とは岡本語録である。
呪術とか戦慄なんて言葉が並んでいるので非常に禍々しく聞こえてしまうけれど、作品の一つ一つに恐ろしさは感じない。
心の赴くまま描き殴ったような荒々しさとユーモラスが同居しているように思う。

岡本太郎は1930年代よりパリで「ピカソを超える」という目標を持ち、活動を続けてきた。
昔テレビで岡本太郎がピカソについて語っているのを観たことがある。
「ゲルニカを観た瞬間、涙がワーッと出てきて止まらなかった」
と興奮気味にジェスチャーまじりで喋っていた。
ゲルニカを一目観て泣けるとはすごい人だ、と思った記憶がある。
今回100年祭ということで年代順にテーマに沿って鑑賞して感じたのは、ピカソと岡本太郎は良く似てるな、ということだ。
ピカソはアフリカ彫刻に感銘を受け、インスピレーションを得て作品に活かしていた。
岡本太郎は縄文土器に感銘を受け、ピカソと同じようにインスピレーションを得て作品に活かしている。
二人ともどんどん「子供のような絵」になっている点も似ていると思った。
芸術を突き詰めていくと、観念とか理屈とか全く抜きにして、本当に素直な子供の目になっていくものなのか。
天才のことはよく分からないけどね。(笑)

人からの評価などは全く気にせず、本当に自分のやりたいことをやり、描きたい絵を描いた自由人。
長いものに巻かれない、反逆精神を残した日本人離れした感覚の持ち主だった岡本太郎。
生誕100年展を観終わって、圧倒的なエネルギーとパワーを感じた。
こんなに元気を与えてくれる芸術家はもう現れないかもしれないね?

SNAKEPIPE MUSEUM #09 Edward Hopper

【1930年代のニューヨーク。とても素敵な映画館ね!】

SNAKEPIPE WROTE:

現代アートでは観た瞬間に「面白い!」と感じる3次元モノが好きだけれど、アート全般として考えると主流はやはり2次元モノ。
SNAKEPIPE自身も、今まで経験したことがあるのは絵や写真という紙媒体だけだし。
そして平面モノの場合は瞬間的な面白さ、というよりもじっくり鑑賞するのが好み。
シリアスでちょっと物悲しい雰囲気の作風に共感を覚える傾向が強い。
今まで紹介してきたSNAKEPIPE MUSEUMのほとんどが当てはまるかな?

今回特集するエドワード・ホッパーも同じ種類の画家になりそうね。
たまに鑑賞したくなるのがホッパーの画集なのである。
ホッパーの特徴は、スナップショットのようにアメリカの風景や人物を切り取って描いている点にある。
まるで映画のスチール写真のようにも見える作品なんだよね。
ホッパーは1882年生まれのアメリカの画家。
1925年くらいから1940年代あたりがホッパーの活躍していた時代のようで、丁度ハリウッドの黄金時代に重なる年代になりそうね。
そう言われてみると、ホッパーの絵に登場している人物の服装というのが
男性:三つ揃いのスーツ。ネクタイ。中折れ帽
女性:ブラウスにスカート。もしくはワンピース。
といった「紳士・淑女」の服装。
この時代のファッションって憧れるんだよね。(笑)

ホッパーの展覧会に行ったのは何年前だったんだろう。
調べてみると2000年夏のBunkamuraだった。
ぎょっ!すでに11年も前のことになるとは…。(とほほ)
確か行ったのが夜で、あまりに人が多くて鑑賞どころじゃなかった記憶がある。
前述したように「じっくり鑑賞するのが好み」なのに、叶わず憤慨。(笑)
仕方なく図録とポストカードだけ購入して帰ったんだっけな。
ホッパー人気にちょっとびっくりしたSNAKEPIPEだった。

ホッパーの絵の魅力はやっぱり物語性だろうか。
上の絵も鑑賞者が様々なドラマを創作して、自分なりの解釈を持つと思う。
映画館の通路脇で頬杖をつき、ややうつむき加減に何か考え事をしている女性。
映画は上映中なのにも関わらず、物思いに耽けるとは余程彼女にとっての重要事項なんだろう。
髪もキレイにセットして、恐らくデート用におめかし?
観客がまばらなところから、どうやらそれほど人気がある映画じゃないのか、もしくは封切りから時間が経っている映画、と推測。
観客が少ないため、誰も彼女に注意を払う人はいないようだ。
おかげで彼女は思考を邪魔されないで済んでいる。
一体何を思っているんだろう?

ホッパーのどの絵にも共通して感じるのは強烈な孤独だ。
夜にひょっこり顔を出す、誰もが持っているやりきれない諦念感。
ホッパーの絵を差し出されると
「自分だけが疎外感を持っているんじゃないんだ」
と鑑賞者は安心するのかもしれない。
そしてそれが人気の秘密なのかもしれないね?

ロック少女のバイブル?The Runaways鑑賞

【左側が映画版ランナウェイズ。右側が本物だけど区別つかないね!】

SNAKEPIPE WROTE:

美容院に行ってきた。
腰に届くくらいのストレートロングヘアを保持してきたSNAKEPIPEだけれど、ここらで思い切りイメージチェンジをしてみようと思ったのである。
いきなりイメチェンといってもどんな髪型が良いのか分からない。
参考にしてみよう、と画像検索したのがジョーン・ジェット
1982年に「アイ・ラブ・ロックンロール」をヒットさせたジョーンは、女性とは思えないほどパワフルなギタープレイに凛とした雰囲気を持つ中性的な魅力の持ち主。
「カッコ良い姐御!」
と一目見たときからファンになってしまったSNAKEPIPEなのである。

イメチェンはジョーン・ジェットみたいな狼カットにしてみてはどうか?
ん?今は狼カットって言わないの?古い?(笑)
今はウルフカットって言うのか。
なんだい、英語にしただけじゃん!(怒)
そこで久しぶりにジョーン・ジェットの画像を検索すると、なにやら若い頃の写真がいっぱい載ってる。
と、思ったらそれがジョーンに成り切って写っているクリステン・スチュワートだったのである。
なんだこれは?と調べて、ランナウェイズの映画化を知った次第。
結局髪型はやっぱり狼カットにする勇気がなくて、ただ切っただけ。
30cmくらいバッサリ切ったからイメチェンにはなったかな?(笑)

ランナウェイズとは1975年から1979年に活動していたアメリカのガールズ・ロックグループである。
ヴォーカル・シェリー・カーリー
リズムギター・ジョーン・ジェット
リードギター・リタ・フォード
ベース・ジャッキー・フォックス
ドラム・サンディ・ウエスト
5人の平均年齢16歳、というティーンエージャーばかり。
ヴォーカルのシェリーがコルセットにガーターベルトというセクシーコスチューム、大股開きで歌う大胆さが話題だったようである。
どうやら日本でも大人気だったみたい。
ランナウェイズ最大のヒット曲「チェリー・ボンブ」のシングルレコードを所持していたSNAKEPIPEだけれど、残念ながら当時の人気はほとんど知らないんだよね。

ランナウェイズの映画化を知ってから数週間経過。
なんとなく毎日落ち着かない日々が続いているため、予定を立てる余裕がなかったんだね。
計画停電で昼間の時間に電気が使えなくなった3月のある日のこと。
急遽外出を決め、ROCKHURRAHと渋谷に向かった。
映画「ザ・ランナウェイズ」は東京では渋谷PARCOにあるシネクイントだけの単館上映。
先日観た「マチェーテ」も新宿での単館上映だったけど、最近は日本映画ばかりで外国映画はあんまり上映してないのかな?
実際映画館の中に入ってびっくり。
観客が10人くらいしかいなかったんだよね。(笑)
座席を指定するタイプの映画館だったけど、これじゃ指定の意味ないよー!
それなのに前方真ん中付近は人気があったようで、10人しかいない観客の中の4人くらいが固まって座ってるのがおかしかった。
周りはガラーンとしてるのにね!
空いてる映画館は好きなので、この日に行って良かったな。(笑)

映画が始まってすぐにびっくりする。
ジョーン・ジェット役のクリステン・スチュワート、似過ぎ!
かなり意識して真似たのかもしれないけど、顔からスタイルまで全部似てるからね。
これはかなり驚きだよ!
シェリーに扮するのはダコタ・ファニング
現在17歳ってことは撮影してる時は15歳とか16歳だったんだね。
丁度ぴったりシェリーと同じ年齢で演じるとは。
それにしてもアメリカの女の子はオトナっぽいね。(笑)

映画は1975年、ジョーン・ジェットとシェリー・カーリーが15歳というところから始まる。
75年というとロンドン・パンクより1年早く、音楽シーンはまだグラム・ロックの時代ね。
グラムについて知りたい方はROCKHURRAHの記事「時に忘れられた人々【07】グラム・ロック編 side A」と「時に忘れられた人々【07】グラム・ロック編 side B」を読んで頂くと有効ですな!(笑)
シェリーはデヴィッド・リンチじゃなかった、デヴィッド・ボウイに夢中。
ジョーンはスージー・クアトロを手本にしていたらしい。
思春期だから現状に不満を感じるお年頃よね。
解るわぁ~!(笑)
自分にとってのアイドルをマネて、大人のフリを始める時期。
ジョーンはロックがやりたい!と一生懸命ギターを練習する。
ある程度弾けるようになったところで、プロデューサーのキム・フォウリーに自分の売り込み!
ここらへんが若さって素晴らしい、と思えるところ。(おばさんっぽい?)
怖い物知らずの当たって砕けろ状態なんだけど、なんとこれがすんなり受け入れられる。
更にドラムのサンディ・ウェストを紹介されて「二人でやってみろ」とのこと。
二人で練習してるところにベースが入り、ギターがもう一人参加し、とだんだんバンドっぽくなってきた。
最後にフォウリーがシェリー・カーリーのルックスを見定め、ヴォーカルに勧誘。
ランナウェイズ結成である。

それにしてもこのキム・フォウリーというプロデューサー、かなり気色悪いタイプ。
いかつい顔・体型なのにグラムっぽくしっかり化粧してるんだよね。(笑)
パンクっぽいアクセサリーも付けてたし。
本人はどんなだったんだろう、と検索して出てきたのが左の写真。
ご本人登場なんだけど、どお?
本人も音楽活動をしていて、どうやら現在も活動している模様。
こうして見るとあの映画の中でフォウリーを演じていた人はかなり忠実だったことが判明。(笑)
少女達を操って、どんどんフォウリーが思う通りの理想にバンドを近づけて行く課程はとても面白かったけど、タイプはまるでマルコム・マクラーレン
なんとなく胡散臭い、でも商才には長けてる仕掛け人的な雰囲気がそっくりだった。
「チェリー・ボンブ」を即興で作るシーンはかなりウソっぽかったな。
あんなに簡単にできた曲なんだろうか?(笑)

バンドはフォウリーの売り込みにより、メジャーデビューが決定。
どんどん上り調子になるところは観てみてワクワクした。
日本公演のシーンでは、
「よくもここまでやったもんだ」
と驚いてしまうほど、当時の日本人を再現。
ファッションや髪型をじっくり研究したんだろうね。
本当に1976年って感じだったよ。(笑)
恐らく日本公演の頃がピークだったのかもしれないね。
良い時は長く続かず、バンドはバラバラになってしまう。
シェリーだけに人気が集中することに嫉妬し、不満の声をあげるメンバー。
当のシェリーもロックスターが背負う犠牲に苦痛を感じるようになってくる。
みんなでロックをやろうよ、と最後まで言っていたのはジョーンだけだった…。

話自体は割とありきたりで、特別な展開もなく終わった。
当時の雰囲気はよく伝わってきたし、なんといってもシェリーとジョーンがよく頑張って演じてたね!


ジョーン・ジェットは15歳から現在の50代に至るまで、首尾一貫してロックをやり続けている。
雰囲気はほとんど変わっていないし、やっぱり今でもカッコいい!
画像検索している時に気になったのが上の写真。
どうやらUS Navyのヘリコプターに乗る時に撮られた写真みたい。
ジョーンは米軍支持者で軍のための演奏を行っていると書いてあった。
上のスタイルも決まってるし!
ピシッと筋を通す意志の強さに勇気と元気をもらったよ。
これからもずっと付いていくぜ、ジョーン姐さん!(笑)