SNAKEPIPE MUSEUM #17 David DiMichele

20120722-012【Pseudodocumentation: Apollonian and Dionysianより】

SNAKEPIPE WROTE:

どこかの美術館で楽しそうな企画やってないかな、と検索しても何故だか連休や夏休みになると子供向けの、SNAKEPIPEやROCKHURRAHが全く興味を示さないような展示ばかりが目につくことが多い。
子供が行きたがるような企画にしないと親もついていかないし、儲けにならないのは理解できるけどねえ。
世の中お子様中心に回っていない、と考える人間もいるんだから、もうちょっと企画なんとかしてもらいたいよね!

仕方ないのでまたネットで検索。
何か面白そうな作品ないかしら?
ん?こ、これはっ!(笑)
あっさりSNAKEPIPE好みの作品に出会ったよ!


David DiMichele
というアメリカ人アーティストで、どうやら1980年代から活躍している模様。
日本で紹介されている記事を発見することができなかったばかりか、ご本人のHP、もしくはギャラリーのサイトで作品を目にすることはできてもプロフィールに関して知ることができたのはほんの少しだけ。

・カリフォルニア大学バークレー校でアートを勉強
・2008年にロサンゼルスのアーティストフェローシップで大賞を受賞
・その後ニューヨークとロサンゼルスで個展を開催
・ロサンゼルス現代美術館でグループ展にも参加

など、少しだけ情報を手に入れることができた。
何年生まれで現在何歳なのか、どうしてアートを志すようになったのかなどの詳細は全く不明。
こんなに面白い作品を制作するアーティストなのに残念だなあ。

最近はPseudodocumentationというシリーズを制作しているとのこと。
これは「偽りのドキュメント」と訳して良いのかしら?
実際に作品を作り、それを写真として展示する方法らしい。
だから個展、とはいっても写真の展示みたいだね。
本当はこんな現物を観てみたいよ。
どんなにワクワクすることだろう。
SNAKEPIPEが好んで撮っていた写真の雰囲気に非常に近いからね!

SNAKEPIPEは撮影というと歩きに歩きまくって、偶然出会った事象を撮影するという手法(?)を採用していたけれど、David DiMicheleは自分の好きな光景を自分自身で作りあげているんだね。
SNAKEPIPEが出会いたかった、撮影したかった光景を見事に再現してもらっているようでヨダレが出てくるね!(笑)
David DiMicheleが使う素材がガラスやロープ、鉄(?)などの無機質なのも好みだ。
アメリカ人アーティストというよりは、ヨーロッパ的な雰囲気を感じるのも興味深いしね!

「巨大な作品のように見せているけれど、実際は小さな作品」なんて書いてある文章をネット上で発見!
人が一緒に写ってる作品を鑑賞する限りではとても大きく見えるよね?
上の作品は、何やら大きな体育館のような施設の中に溶岩とかコールタールのような液体が流れ出ているように見えるけど…。

おや?
また別のサイトで左の写真を発見してしまった!
写真に写っている人物はDavid DiMicheleご本人なのでは?
上の作品を制作している過程だとすると、これが種明かしということになりそうだよね!
これだとやっぱり作品はかなり小さいみたいじゃない?
ということは人だと思っていたのも、小さい人形か何かを使っていたのか、合成で写してたのかもしれないね?
うー!騙されたー!(笑)
だからタイトルが「偽りのドキュメント」なのか!

最近のSNAKEPIPEは写真や絵画などの2次元の作品よりも、立体作品を扱う現代アートが好みなので、立体を作って写真で展示するDavid DiMicheleのやり方は好感が持てるなあ。
名前がDAVIDなのも気に入った。(笑)
それにしてもDavid Di Micheleというサッカー選手がいるようで、検索するたびに全然違う記事に遭遇してしまって苦労したよ!
もっとDavid DiMicheleに活躍して頂いて、名前が混同されないようにお願いしたいよ。
こんなに面白いアーティストなんだから、日本でも誰か企画して展覧会開いてくれないかなー?
実際に作品を鑑賞してみたいよー!

SNAKEPIPE MUSEUM #16 Dorothea Tanning

【まるで楳図かずおの世界!とROCKHURRAHが称したドロテア・タニングの作品】

SNAKEPIPE WROTE:

面白そうな企画展や展覧会情報を検索しているものの、これは!というものに巡りあうことは珍しい。
今年は当たりの年なのか、ロトチェンコマックス・エルンストの展覧会を鑑賞し、充足感を得ることができた。
それでもまだまだ冷めない鑑賞欲!(笑)
もっといろんな作品を知りたい、観たい、ドキドキしたい!
展覧会がないならネット上で探しちゃうもんね。
ということで、今回のSNAKEPIPE MUSEUMは先日鑑賞して大ファンになったマックス・エルンストの妻であるドロテア・タニングについて書いてみたいと思う。

Wikipedeaの記事に「日本では、サルバドール・ダリルネ・マグリットジョルジョ・デ・キリコらの人気の高さに比して、やや過小評価されている感があるマックス・エルンスト」と書かれているけれど、その妻であるドロテア・タニングなんて本当にほとんど紹介されてないんだよね。(笑)
いや、実はSNAKEPIPEもドロテア・タニングご本人はマン・レイの写真で知っていたけれど、作品についてはよく知らないというのが正直なところ。
検索してみるとなんとも幻想的な世界をお持ちのアーティストということが分かって、興味津々になってしまった!
自分のためにもドロテア・タニングについてまとめてみようか。

ドロテア・タニングは1910年アメリカのイリノイ州生まれ。
1935年にニューヨークに移り住み、MOMA(ニューヨーク近代美術館)でダダとシュールレアリズムに目覚めたらしい。
どうやらタニングはファッション広告の商業イラストレーターだったようで、シュール的要素を取り入れた作品を手がけていた模様。
それがメーシーズ(ニューヨークに本部がある百貨店)のアートディレクターの目に留まり、ニューヨークで個展を2回開催(1944年と1948年)。
そのアートディレクターからニューヨークで活躍するシュールレアリズムのグループを紹介してもらったらしい。
そのグループの中にいたのが、後に夫となるマックス・エルンストだった!
偶然は必然、という言葉がぴったりの運命的な出会いだったんだね。(笑)
マックス・エルンストと1946年に結婚。
この結婚式はマン・レイと妻ジュリエットとのダブル・ウェディングだったらしい。

マックス・エルンストとドロテア・タニングの年の差、19歳。(計算してしまった)
そして以前書いたようにマックス・エルンストはこれが4回目の結婚。(笑)
細かいことは抜きにして、上の写真からとても幸せそうな2組のカップルの様子が判るよね!
芸術的な会話をしながら食事したりして、生活そのものがアートだったんだろうなと想像する。
なんとも楽しそうで羨ましい関係だよね!

ドロテア・タニング自身の撮影をしていた人達っていうのも大物ばかりでびっくりしちゃうんだよね。
マン・レイ撮影というのは前から知ってたけど、それ以外にもアンリ・カルティエ=ブレッソンリー・ミラーアーヴィング・ペンなどなど写真界の大御所の名前がズラリ!
マックス・エルンストの交友関係は当然ながら、全て同じようにつながるもんね。
ドロテア・タニングも、まるで50年代のハリウッド女優のような風貌だから、モデル向きだったともいえるよね。
なんて、素敵な時代なんでしょ!(笑)
結婚生活30年の1976年にマックス・エルンストが85歳で死去。
この時、タニングは66歳くらいだったのかな。
それをきっかけにドロテア・タニングはフランスからアメリカに戻る。
なんとも驚くべきことに、それから先もずっと創作活動を続けたんだね。
2012年、今年の1月に101歳で死去。
芸術に一生を捧げた、情熱的な女性だったんだね!


ドロテア・タニングのHPにはタニング誕生の1910年から2011年に発行されたタニングの書籍の紹介までの全ての仕事が紹介されている。
年代ごとにスタイルを変化させたり、絵画だけではなく彫刻や版画を手がけたり、作家としても活躍していた様子。
上の写真は「Poppy Hotel, Room 202」(1970-1973年)という作品である。
織物、羊毛、合成毛皮、ボール紙とピンポン球を組み合わせて作られた現代アートになるのかな。
子供時代に聴いた1920年代のヒット曲からインスピレーションを得た作品みたい。
どうやらシカゴ・ギャングの妻が服毒自殺をしたホテル202号室について歌われた内容みたいなんだよね。
In room two hundred and two
The walls keep talkin’ to you
 I’ll never tell you what they said
 So turn out the light and come to bed.
これが歌詞みたいなんだけど、誰か上手に訳してくれるとありがたいな。(笑)
情念や怨念などの「念」が封じ込められたホテルの一室。
人なのか、椅子なのか形の定まらない不可思議な物体の存在感。
壁に掛かっている謎のピンク色は、まるで女体の半身トルソーのように見えるし。
この不気味な感覚はとても好きだな!

トップに載せた油絵も不穏な雰囲気の幻想絵画だよね。
これは「Eine Kleine Nachtmusik」(1943年)という、これもまたホテルが舞台になっている作品なんだよね。
夜のホテル。
いくつもの寝室が近くにあるのに、他の部屋については何も知らない。
同じ館にいるのに、都会と同じ疎外感を感じる。
暗い影が何かの形に見えてしまうことがある。
血の色のカーペット、残酷な黄色、逆立った黒髪。
向日葵は花の中で最も攻撃的だ。
悪い想像は悪夢になって襲ってくるかもしれない。

ドロテア・タニングの作品は、年代によって変化はあるけれど、全体的に観る者を不安な状態に陥らせる。
そこに魅力を感じるのはSNAKEPIPEだけではないだろう。
そして沸き立つ芸術欲が全く失われることなく、長い年月の間創作を続けていたところも尊敬しちゃうよね!

今年が亡くなった年、ということで回顧展は開かれないのかな。
もしどこかで開催されるようなら是非、全貌を鑑賞してみたいものだ。

SNAKEPIPE MUSEUM #15 Albert Birkle

【Albert Birkle1926年の作品:The Last Cavalier】

SNAKEPIPE WROTE:

昨年鑑賞したモホリ=ナギ以来、1920年代に対する興味を持ち続けているROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
その時代の今まで知らなかったアーティストを発見することに心血を注いでいるところである。(大げさ)
「これはいい!」と思った作品を発見すると、お互いに紹介し合うことにしている。
今回のSNAKEPIPE MUSEUMもたまたま発見した、1920年代の温故知新系アーティストAlbert Birkleについて書いてみたいと思う。

ROCKHURRAHは観てすぐに
ORCHESTRE ROUGEのジャケットを描いているRecardo Mosnerに似てる」
と言う。

このRecardo Mosnerはアルゼンチンのブエノスアイレス生まれの画家・彫刻家で、フランスで活躍中らしい。
左がAlbert Birkleで右がRecardo Mosnerなんだけど、構図とか雰囲気が確かに似てるよね!(笑)
そして2人の画家についての詳細がはっきりしないところも良く似てる。
どうやらAlbert Birkleはドイツ人のようで読み方すら分からない。
日本語ページでの紹介文も見当たらないほどマイナーな画家のようである。
当たってるのかどうか不明だけど、アルベルト・バークルと表記していこう。

アルベルト・バークルは1900年ベルリン生まれ。
第一次大戦で兵役に就く前に、すでにベルリンの芸術大学でアートについて学んでいたようである。
親戚の中にも裁判画家を生業としている人もいたようで、どうやら芸術に対して理解がある環境で育ったらしい。
1927年ベルリンで初の個展開催。
1941年から1943年まで戦争特派員としてフランスに滞在。
1944年にはザルツブルグで開催された「ドイツ人アーティストとSS」展に出品しているようなので、ナチスとの関係もあった模様。
1946年、戦争が終結した年にオーストリアの市民権獲得。
1958年には教授となる。
この頃にはステンドグラスの作家として有名で、ドイツ国内だけでなくワシントンでもバークルのステンドグラス作品を鑑賞することができるようである。
1986年にザルツブルグで死去。

ドイツ語で書かれた文章を英語に訳してから更に日本語訳にして作った文章が上述のもの。
だからもしかした誤訳があるかもしれないけど、許してね。(笑)
バークルが活躍していた時代が丁度世界大戦真っ只中だったということで、かなり戦争の記憶がトラウマとなっていたようである。
その傷が影響を及ぼし、影のあるなんとも印象的な作品に仕上がっているように思う。
バークルにとっては辛い傷だったと予想できるけれど、作品として鑑賞した場合には非常に魅力的だと感じるのはSNAKPIPEだけではないだろう。

「The Last Cavalier」(最後の騎士)と題された上の作品は、怯える老女と忍び寄る紳士的な(?)骸骨を描いた作品である。
「怖がらないで一緒に参りましょう」と笑いながら誘っているように見えるよね。
戸惑いながらも誘いに乗りそうな老女。
そのままの解釈だけじゃなくて、もしかしたら風刺画みたいに隠喩としての作品だったのかもしれないね?

アルベルト・バークルはフレスコ画を手がけていたり、教会の窓にステンドグラスを施したりするような宗教的な一面を持っている。
そして同時に「反乱と革命」というテーマにも取り組んでいたので、「磔」というのが重要な表現手段になっていたようである。
政治的な意味と宗教的な意味を掛け合わせると左のような作品が出来上がるんだね!
苦痛、という共通項から「磔」になったみたいなんだけど、宗教について詳しくないSNAKEPIPEには深い部分まで語ることはできないので、その点は専門家にお任せするとして。
テーマとか主題について理解できなかったとしても、インパクト大だよね。
構図の斬新さや色使いはもちろんだけど、なんといっても手前の人の顔がすごい。(笑)
「叫び」で有名なノルウェーの画家、ムンクに似た生と死、孤独や不安といった人間の心のダークサイドを表現した画家なんだろうね。
調べてみるとムンクは1890年代ベルリンに滞在していてドイツ表現主義に影響を与えた人物、とされているから関連があっても不思議じゃないかもね?

詳細が分からないまま特集にしてしまったアルベルト・バークルだけど、これからもこうした観た瞬間ファンになるアーティストに出会っていきたいと思う。

SNAKEPIPE MUSEUM #14 Harry Clarke

【ハリー・クラークによるエドガー・アラン・ポーの挿絵】

SNAKEPIPE WROTE:

昔からの好みはそうそう変わるものじゃないようだ。
「三つ子の魂百まで」の例えもあるように、恐らくSNAKEPIPEが3歳の頃から好きな物や傾向は変化していないように思う。
陽よりは陰、明よりは暗、メジャーよりはマイナーといった具合である。
「誰からも好かれる人になろう」と努力する人物像よりも「少数でも解ってくれる人がいれば良い」と自分の好きなことを追求するようなタイプに好感を持つことが多い。
100人中100人から好かれる人なんて、逆にウソっぽいよね?(笑)

アートの分野の好みも上述したのとほぼ同じである。
明るく爽やかなものよりも、ダークでちょっと恐怖を感じるような迫力があるアートが好みである。
きっとこのブログを読んで頂いている皆様はとっくにご存知だと思うけれど、鑑賞したいと思う展覧会にも、購入する画集や写真集にもその傾向が顕著だ。
「好きな人は好き」な世界なので、同じ嗜好を持つ友人との会話は大いに弾むけれど、逆の好みの方とは全く話が噛み合わないんだよね。
恐らく今回ご紹介する画家、ハリー・クラークも好みが分かれそうなアーティストだと思う。

ハリー・クラークは1889年アイルランド生まれのステンドグラス作家、挿話画家である。
ステンドグラス作家としての腕前はもちろんだけれど、SNAKEPIPEが注目したいのは画家としての活躍のほうである。
1920年代エドガー・アラン・ポー「ポオ怪奇小説集」にハリー・クラークが挿話画を描き、名声を得ることになる。

おお!憧れの1920年代!
やっぱりこの時代は革新的な出来事が多いんだよねー!
SNAKEPIPEは江戸川乱歩の作品は大ファンだから色々読んでるけど、その元(?)となるエドガー・アラン・ポーって実はほとんど読んだことないんだよね。
多分代表作の「黄金虫」と「黒猫」あたりをものすごく昔に読んだうっすらとした記憶が…。(遠い目)
今更ながら調べてみて、タイトルに「怪奇小説」なんて書かれると興味が湧いてくるよね!
ROCKHURRAHに話すと
「前に怪奇小説集だったら持ってたよ!」
とかる~く答えられてしまった。
持っていたとは、さすがROCKHURRAH!(笑)
今は所持していないようなので、今度探してみるかな。

ハリー・クラークの挿絵、とっても素晴らしいよね!
物語について知らなくても、上の絵を観ても物語が浮かんでくる感じ。
丸尾末広や以前ご紹介したトマー・ハヌカっぽい雰囲気もあるよね。
時代が古いのはハリー・クラークだから、丸尾末広やハヌカよりずっと先輩だったか!(笑)

ステンドグラス職人としての仕事も続けながら描いていたようで、死因はステンドグラス生産に使用される有毒化学物質による結核だったようである。
なんとも残念な享年41歳。若過ぎるよね。

時代は違うけど、先日版画を鑑賞したウィリアム・ブレイクもイギリスの画家だし、
ハリー・クラークよりちょっと前の時代に活躍したオーブリー・ビアズリーもイギリス人。
ビアズリーはアールヌーヴォーの代表的な存在で、やっぱり短命だった画家。
ポーやオスカー・ワイルド作品の挿絵を担当していたことや、結核で命を落としている点もハリー・クラークと同じなんだよね。
左の絵はビアズリーの作品なんだけど、アールヌーヴォーらしく植物の蔦を思わせる曲線的な縁取りが特徴的だよね!
ハリー・クラークはアールヌーヴォーとアールデコの両方から影響を受けていると書いてあるけれど、ビアズリーと比較してみるとその作品はイラストっぽい幻想画だなと感じるけど、どうだろう?
アールヌーヴォーよりも淫靡で毒のあるゴシックな雰囲気があるように感じるからね!(笑)

ROCKHURRAHもSNAKEPIPEも憧れの時代の一つとして1920年代を挙げてしまう。
シュールレアリズム、バウハウスなどアート界での革新的な運動が起こったのはこの時代だからね。
この時代のパリやドイツはどんなにエキサイティングだったか!と想像するだけでワクワクしちゃうよね。
そしてイギリスでもやっぱりこんなに素敵な画家が活躍していたんだな、ということを知り、改めて1920年代の魅力を感じたSNAKEPIPEである。
きっとまだまだ知らないアーティストたくさんいるんだろうね。
また調べて新たなワクワクを経験したいと思う。