映画の殿 第18号 小さな悪の華+乙女の祈り

【4人の美少女(?)達!】

SNAKEPIPE WROTE:

映画のタイトルバックが終わった後、本編が始まる直前に、「Based on a true story」(この話は真実に基づく) という文言を見かけることが多い今日この頃。
例えばキャスリン・ビグロー監督の「ゼロ・ダーク・サーティ」や昨年日本で公開された「フォックスキャッチャー」なども、実話に元に制作された映画である。
「事実は小説よりも奇なり」ということなのか、映画関係者のネタ切れなのかは不明だけれど、よく見かけるフレーズなんだよね。
70年代には、どれくらいの作品が事実を元に制作されていたんだろう?
今日ご紹介する「小さな悪の華」(原題:Mais ne nous délivrez pas du mal )は1954年に実際にあった事件を16年後である1970年に映画化した作品なんだよね。

黒髪のアンヌとブロンドのロールは15歳。
寄宿学校に通う2人はバカンスを利用し、盗みや放火、また牧童を誘惑したり庭番の小鳥を殺害したり、悪魔崇拝儀式を取り行うなどの残酷な行為を繰り返していた。
やがて2人の行為はエスカレートし、死の危険を孕んだ破滅的な終局へ向かっていく。

反宗教的で淫靡な内容のため、製作国であるフランスではもちろんのこと、世界中で上映禁止になり、アメリカと日本でのみ上映されたという「いわくつき」の作品なんだよね。
そのため本国フランスでのトレイラーは存在せず、日本版のトレイラーをみつけたよ。(笑)
元になった事件というのがニュージーランドで起こった15歳の少女2人による母親殺害なので、「小さな悪の華」は15歳の少女2人が悪事に手を染める設定だけ類似させているんだね。
事件そのものとの接点はほとんどないと言って良いみたい。

1970年の作品のためなのか、少し画面が暗い。
2人の少女、と聞くと明るく清潔で希望に満ちた未来に心をときめかせている、バラ色の頬に屈託のない笑顔というイメージを持つけれど(えっ、持たない?)アンヌとロールにその少女像は通用しないようだ。
あらすじにもあるように盗み、放火、動物虐待と殺害、大人の男を誘っては逃げるなどのハレンチな行為(!)を繰り返す。
当時はキリスト教を冒涜し、悪魔崇拝の儀式を行うところが一番の問題だったのかもしれないけれど、現在ならば児童ポルノと言われてしまうようなシーンのほうに眉をひそめ、倫理がどうのと言う人が多いかもしれないね?

大人の男を誘っては、相手がその気になった途端に「これはお遊びよ!」とからかって逃げる2人。
「私の魅力に屈しないはずはない」という充分な自信を持っていたからこそできた「遊び」だと思うんだけど、SNAKEPIPEには彼女達の魅力が伝わってこなかったんだよね。(笑)
予告のトレイラーにも「黒髪とブロンドの美しい少女」って書いてあるんだけど、残念ながら賛成することができないんだな。
こんな単純な誘いに乗る大人の男もなあ、という感想を持ったけど、実際にロリコンはいっぱいいるからね。
SNAKEPIPEには理解し辛い部分だったね!

「小さな悪の華」の中でSNAKEPIPEが一番印象的だと感じたのは、2人の少女が並んで詩の朗読をするシーンかな。

若者は家に帰ると頭を抱えた
学問の詰まった豊かな脳みそ
狂気が流れる
防壁が必要
穴を掘れ
防壁が必要
穴を掘れ

全く意味不明の、さすがフランス、とも言えるようなポエム!
どうやらジュール・ラフォルグの詩やボードレールの詩を混ぜたものみたい。
「小さな悪の華」というタイトルもボードレールの「悪の華」から引用されていることはすぐに分かるもんね。
Digue dondaine,digue dondaine,
Digue dondaine, digue dondon!
フランス語を知らないので「ディガディガディン、ディガディガドン」と聞こえてしまう、この音の響きが特に耳に残り、時々真似をしてしまうSNAKEPIPE。(笑)
ここが「穴を掘れ」になってたんだけど、原語と訳では意味合い違うんだろうね?

少女2人が笑いながら悪事を行うところがポイントかな。
罪の意識を持って敢えて悪いことをする、という点が怖いんだよね。
悪いことと知らなかったから笑って悪事をしていた、のほうが一般的な気がするからね。(この表現は変だけど)
国によって残酷の基準や倫理、マナーや宗教が違うけれど、もう今は「小さな悪の華」を上映禁止にする国はほとんどないんじゃないかな?
様々なジャンルの映画が公開されている昨今ならば、もうフランスでも上映解禁されているかもしれないね。

続いて紹介するのも、同じ事件を題材にした「乙女の祈り」(原題:Heavenly Creatures 1994年)である。

クライストチャーチの女子高に通う内気な少女ポーリンと、イギリスからの転校生ジュリエット。
2人は親友同士になり、秘密の世界を作り上げる。
少女たちの絆があまりに強いため、周囲の大人は同性愛と見なし引き離そうとする。
2人は一緒にいるために作戦を考えるのだが…。

「乙女の祈り」は1954年に起きた事件をそのまま忠実に再現したストーリー展開をしている作品のようである。
監督は「ロード・オブ・ザ・リング」で有名なピーター・ジャクソン
ニュージーランドで起きた事件だから、同じ出身の監督が起用されたのかな?
ファンタジー色が強い人、と思っているとROCKHURRAHからは「バッド・テイスト」の監督というイメージだと言われる。
スプラッター・ホラーだって!
それが初監督作品だというから、ファンタジーとはかけ離れてるよね?
ただし「乙女の祈り」にもクリーチャーを使用しているので、そこがピーター・ジャクソンらしさになるんだろうね。
主人公であるポーリンとジュリエットが創作した小説世界を映像化した場面は、粘土細工の人型が動くという不思議な世界。
このシーンはなかなか面白かったね!

主人公ジュリエットを演じたのが、これがデビュー作となるケイト・ウィンスレット
「乙女の祈り」の時に18歳か19歳だと思うんだけど、非常に醜悪で驚いてしまう。
はっきり言って全く「乙女」に見えないんだよね。(笑)
もしこれが役作りだとしたら、大成功かも!
ジェームズ・キャメロン監督の「タイタニック」でヒロインを演じて、世界的に有名な俳優になるとは思えないくらいの酷さ!
そう書いてはみたものの、SNAKEPIPEの「一生観ない映画」リストに「タイタニック」が入っているので、実際にヒロインだったかどうかは知らないんだけど!(笑)

もう一人の主人公であるポーリンを演じたのがメラニー・リンスキー
ぽっちゃりした体型に加えて、 何事も思い通りにならない青春時代の鬱屈した状態が表情に出ているので、こちらもかなりの醜悪ぶり!
2人の美少女が、とはキャッチフレーズできないなー! (笑)

現代では同性の恋愛について寛容になっているし、実際に結婚を認めている国もあるよね。
1954年のニュージーランドでは、まるで精神的に異常で、病気であるかのような扱いを受けてしまう2人。
時代が違っていたら、事件を起こすこともなく、ずっと2人で仲良く生きていかれたのにね。

「小さな悪の華」も「乙女の祈り」も同じ事件を題材にしているとのことだけど、印象はまるで違う。
前述したように事件そのものを再現しているのは「乙女の祈り」なので、事件について知りたい人にはお勧めかも。
SNAKEPIPEは事件そのものよりも、映画としての完成度としてみるならば「小さな悪の華」に軍配を上げる。
少女2人の秘密めいた雰囲気と残酷さがよく出ていると思うからね!

1954年の事件の犯人であるジュリエットはアン・ペリーと改名し、 ベストセラーの推理小説家になっているというオチがつく。
実際に事件の当事者が作家になるというケースは、そう多くないよね。
ましてや世間を騒がせた殺人犯人がベストセラー作家になるとは!
ジャン・ジュネや安部譲二を思い出すけれど、殺人犯人ではないからね。

同じ事件を題材に2つも映画が制作されるというのも稀だよね。
事件にも人を惹きつける魅力があったということなのか。
アン・ペリーの作品も読んでみようかな。

映画の殿 第17号 映画の中のニュー・ウェイブ03

【表紙の写真の関連性が不可解な組み合わせだな

ROCKHURRAH WROTE:

ずっと前に、続きを書くのをすっかり忘れてた企画があったのを急に思い出してしまった。「映画に使われた70年代、80年代の曲特集」という内容。
もちろんROCKHURRAHが書く記事だからパンクやニュー・ウェイブの音楽だけに限って集めてみたよ。
SNAKEPIPEが書く「映画の殿」の記事とは少し趣向が違ってて、映画の内容にはあまり肉迫しないのが特徴。

さて、今回集めてみたのはこんな3本だよ。

まずはこれ、1991年の「羊たちの沈黙」。
近年の海外TVドラマ「ハンニバル」シリーズの元祖、そして今では巷に溢れているサイコ・サスペンスと呼ばれるジャンルの元祖的な映画がこれだから、時代は古くてもこの手の映画ファンならば誰でも知ってるような作品だ。
TVシリーズではマッツ・ミケルセンが演じたハンニバル・レクター博士だが、オリジナルの映画版の方ではアンソニー・ホプキンスが強烈な印象で演じ、ハンニバルの代名詞と言えばやっぱりこちらの方だと思う。
特に拘束衣、拘束マスク(?)をつけたあのヴィジュアルは大のお気に入りで、SNAKEPIPEが時折、物マネをするほど(笑)。
アンソニー・ホプキンスは調べてみたらハンニバル以外でもケロッグ博士、ニクソン大統領、ピカソ、ヒッチコック、ハイネケン(ビール会社の社長)、プトレマイオス1世など様々な偉人を演じてる模様。ピカソはかなり似てると思うが、映画は未見。

ハンニバル・レクターが登場する映画は何作かシリーズになっているが、ROCKHURRAHはリアルタイムでは全然観てなくて、後にSNAKEPIPEの勧めで全部観ただけ。原作まで全部読んでるSNAKEPIPEとは大違いだな。

この映画で使われたらしいのがコリン・ニューマンの1stアルバム「A-Z」に収録の「Alone」という曲なんだが・・・。実はどのシーンで使われてたのか全く記憶にないんだよね。
YouTubeで探してみたが、たぶんこんなシーンでは使われてなかったような気がする。しかも途中でぶち切れ、あまり良いクリップが見つからなかったので我慢してね。ジョディ・フォスターが若い!

コリン・ニューマンは1970年代パンクの時代に活躍したワイアーのヴォーカリストだった人。大多数の人がワイヤーと表記しててたぶんそっちの方が正しいんだろうけど、ROCKHURRAHはなぜかずっとワイアーと読んでたよ。今日から急に改める気もないからこのままワイアーと呼ばせて。

ワイアーはパンクっぽい曲もあるけど、より知的でアーティスティック、ポップな面と実験的な面を併せ持った音楽性で、一味違う新しいものを求めていた若者に支持された。
それより少し後の時代に誕生したニュー・ウェイブ、ポスト・パンクへの橋渡しをしたバンドとして評価が高いね。
基本的にはワン・アイデアだけで一曲を完成させる簡素なスタイルが多かったけれど、数多くの他のミュージシャンがその音楽の切れ端からヒントを得た。alternative( 別の可能性、取って代わるもの)な音楽が誕生して発展したきっかけになったようなバンドだと思う。

分裂した後で再結成したり、後の時代も活動を続けるワイアーだが、ウチらの世代で言うとやはり初期の3枚の傑作アルバムに集約されているな。時代が目の前で変わってゆく空気感がビリビリと伝わるような音楽。
ワイアーが分裂状態になった後、80年代初頭にソロ活動を始めたコリン・ニューマンはこれまた元ワイアーの名に恥じない名曲をいくつも書いて、個人的にはとても好きなアーティストだった。
格別に特徴のあるスタイルや個性ではないけど、いそうで滅多にいないタイプの声や歌い方、これが素晴らしい。
歌詞が出てこなかったのかどうか不明だが、単に「あーーー!」という叫び声だけがメインの名曲「B」や「あーあーあー」というハミングだけで一曲モノにした傑作「Fish 1」など、今聴いても色褪せないな。文章だけだと何だか「うめき声マニア」みたいだが(笑)。

さて、次は2001年の映画「ドニー・ダーコ」だ。
これは80年代ニュー・ウェイブが効果的に使われた映画の成功例だから知ってる人も多かろう。
タイトルはヘンな響きだがそれが主人公の名前だ。
高校生ドニーを演じるのは暗い目つきのジェイク・ギレンホール、あまりさわやかさとか可愛げのない役どころだったから意外とピッタリだったのかもね。実の姉、マギー・ギレンホールが映画でも姉役で出ているな。

ドニーはある日、可愛げのない不気味なウサギ、フランクのお告げにより「世界の終わりまでの時間」を知る。
翌日、変な場所で目覚めた彼が家に戻ると、不在の間に近所で飛行機が墜落、そのエンジンが自室の屋根を突き破るというありえないような大惨事が起こっていた。ウサギに誘われて家を出なければ間違いなく死んでただろうという事態。
その後はウサギの言うがままに様々な騒動を起こしたり、転校生と恋に落ちたり、普通じゃないけど一応青春と呼べなくはない展開が色々あって、物語は世界の終わりの時まで進んでゆく・・・。
「わかりにくい」「不可解」という前評判があったが、勝手に想像したような不条理映画ではなかったな。

この映画の冒頭、主人公ドニーが自転車で峠道みたいなところを走るシーンで使われているのがエコー&ザ・バニーメンの「The Killing Moon」だ。
今の時代、このバンドについて言ってる人はあまりいないとは思うが、当時はエコバニではなくてバニーズと「通」ぶった略し方をしていたな。
1980年代に湯水のように出てきたリヴァプール発のバンドの代表格が彼らだった。これまた今では死語に近い「ネオ・サイケデリア」と呼ばれた音楽の中で最も成功したバンドのひとつでもある。

ヒネクレ者で王道嫌いなROCKHURRAHは同じリヴァプールの中では日本での人気がイマイチなティアドロップ・エクスプローズやワー!などを好んで聴いているフリをしていたが、実はバニーズにもどっぷり漬かっていた。しかし人に聞かれたらやっぱり誰も知らないようなマニアックなバンドを挙げたりする。この辺の素直になれない心理もずっと成長してないなあ。

ちなみにこの映画はバニーズのこの曲以外にもジョイ・ディヴィジョンやオーストラリアのチャーチ(多作で有名)、ティアーズ・フォー・フィアーズなど80年代音楽が使われているが、使い方のポイントがイマイチだと個人的には思う。

最後はこれ、2006年の「マリー・アントワネット」。
父親が偉大な監督、娘は七光りのように言われるのは仕方ないがフランシス・コッポラの娘、ソフィア・コッポラが監督の作品だ。

世界史に明るくない人間でも名前くらいは知ってるであろう、政略結婚でオーストリアからフランスに嫁いだマリー・アントワネットをキルスティン・ダンストが演じる。 しかしこれは歴史映画などではなく、王女になってしまった気さくな女の子が宮廷を舞台に奔放な生き様を見せるような映画で、試みとしては異色なのかも。
この手の映画としては会話も少なく、当時の最先端の宮廷ファッションや乱痴気騒ぎのパーティ・シーン、部屋でスイーツ食べながらダラダラしてるようなシーンの連続で実にライトな出来となっている。

監督の好みなのか何なのかは分からないが、この映画もパンクやニュー・ウェイブがふんだんに使われていて、しかも割とハッキリとした音量で流れるので、ROCKHURRAHにとっては音楽の部分だけは高評価だった。
せっかくの名曲なのに数秒しか使われなかったり会話でぶち切れになったり、そういう使われ方の映画が多いからね。単なるBGMでも敬意を払ってない監督が多すぎ。
上の仮面舞踏会のシーンではスージー&ザ・バンシーズの「Hong Kong Garden」がストリングスのアレンジで使われているな。他にもバウ・ワウ・ワウやアダム&ジ・アンツ、ギャング・オブ・フォーなどもまあまあ効果的に使われていて、80年代ファンならば納得出来る。

以上、タイトル画像の表紙がよくわからなかった人でも、ここまで読めば関連性が理解出来ただろう。

今回の記事には関係ないけど。
一番最後になってしまったが先週、突然世界中が悲しみにつつまれたデヴィッド・ボウイの訃報。これだけ「70年代、80年代のパンクやニュー・ウェイブ」ばかりを扱ったサイトなのにボウイについて何も思い出がないはずがない。パンクやニュー・ウェイブの誕生に最も影響を与えた一人かも知れない。
しかし本人の言葉通り、彼の音楽はいつまでも輝き続けるだろうし、知り合いのような追悼の言葉は出て来ない。
これからもROCKHURRAH RECORDSはデヴィッド・ボウイの影響を受けた一人として活動してゆくつもりだ。まるで音楽をやってる者のような語り口で偉そうだが、これがウチなりの追悼。
ではまた来週。

映画の殿 第16号 タルコフスキーのストーカー

【印象的な黒い犬とゾーンの建物を合成してみたよ】

SNAKEPIPE WROTE:

かつては写真を撮ることや観ることに意欲的だったSNAKEPIPEは、写真集を片っ端から見たり、芸術関連の本を読んで勉強していた。
勉強していたつもりだった、というのが正確な表現かもしれない。(笑)
映画に関係する本を読むことも好きで、評論文だけを読んで興味を持った作品も数多い。
気になった映画を実際に観ることもあれば、縁がないまま鑑賞せず、それでも頭の片隅にタイトルや監督の名前が残っている場合もある。
アンドレイ・タルコフスキーの名前はその「縁がないまま」鑑賞しなかったけれど、名前を記憶しているほうに分類されていた。
スチール写真と共に載っていた「タルコフスキーの映像美」という文章はよく覚えている。
余程の映画通以外、そもそもロシア映画自体あまり観る機会ないよね。
観たことがあるのはエイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」と「ストライキ」、セルゲイ・パラジャーノフの何か(覚えていない)を観たくらいだもんね。

レンタルDVDショップであるTSUTAYAには「発掘良品」という、今では手に入らなくなってしまったような過去の作品をDVD化する企画がある。
そのコーナーは懐かしさや、観たかったのに機会を逃してしまった作品が数多く並んでいることが多いので、なるべくチェックすることにしている。
そしてそこでタルコフスキーの作品が面出しされていることに気付いたのである。
ストーカー」(原題:Сталкер 1979年)ノスタルジア」(原題:Nostalghia 1983年)「サクリファイス」(原題:Offret 1986年)は、前述した映画の評論文の中ではお馴染みの、観たことがないのに知っているタイトルである。
この手のアート系の映画は、大抵の場合眠くなりそうな作品が多いというのも予想できたので、まずは1本だけ借りてみることにした。
今回選んだのは「ストーカー」。
気力と体力が充実している健康な日に鑑賞することにした。
寝不足気味で鑑賞すると眠ってしまうかもしれないからね! (笑)

簡単に「ストーカー」のあらすじを書いてみようか。

「ゾーン」と呼ばれる立ち入り禁止空間。
その奥にはすべての望みを叶える部屋があるという。
「作家」と「物理学者」は、「ゾーン」の案内人
「ストーカー」に導かれ、「ゾーン」に侵入する

ほんの数行しか書いていない、本当に簡単なあらすじだね。(笑)
実はこの映画はSF映画ということになってるんだけど、SF的な要素はほとんどない。
そして原作を読んでいないことにも加えて、SNAKEPIPEからするとストーリーはどうでも良い感じなんだよね。
「ストーカー」の魅力は違う部分にあると思うから。

写真家シンディ・シャーマンのことを書いた「SNAKEPIPE MUSEUM #4 Cindy Sherman」の記事の中で、ジム・ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」について言及している部分がある。

「ストレンジャー・ザン・パラダイス」は、全てのシーンが一枚写真として完成している、言うなれば連続スチール写真映画だったんだ!

「ストーカー」も「ストレンジャー・ザン・パラダイス」と同じで、写真集を観る感覚の映画だと感じたSNAKEPIPE。
しかもそれは廃墟写真集なんだよね!(笑)
おおっ、これが「タルコフスキーの映像美」であり「美学」なのか?
映画の評論のほうはその道のプロの方にお任せして!
SNAKEPIPEは「ストーカー」を写真的に観て素敵だと思ったシーンについてまとめたいと思う。

「ストーカー」はモノクローム(セピア調)のパートとカラーのパートがあり、「ゾーン」の中と外みたいな区別になっているのかもしれないけど、解釈はどうでも良いか。(笑)
モノクロからカラーに変化した時に出てくる、上のシーン。
1970年代のソビエト連邦って、こんなに荒涼とした風景だったのかな。
もしかしたら場所によっては今でも変わらないのかもしれないよね?
寂しい感じがする色味が最高!

昔はそこに人がいた、という根拠を示す人工物が朽ち果てている状態が写っているのが廃墟写真だと思う。
こんなにゴロゴロそこらに物が散乱しているのは素晴らしい風景だよ!
SNAKEPIPEからみると宝の山ね。(笑)

グッとくるよね、これも!
この鉄の箱みたいなのは一体なんだろうか?
錆び具合と草の伸び方がたまらない!
あー、気になる、気になる!

こんなブツに遭遇したら、フィルム1本くらい撮影してたな、絶対!
雑草の色といい、鉄の曲がり方といい。
待ち受け画像にしたいくらい惚れ惚れするわあ!(笑)


うっひょー!(笑)
上から垂れてるのはSNAKEPIPEのヨダレじゃないからね!
いや、本当にヨダレ垂らしながら観てたシーンがここ!
「なにここ!なにここ!」
とかなり興奮して叫びながら観ていたSNAKEPIPE。
素晴らしい廃墟写真だよね!
ここ行ってみたいよー!

「タルコフスキーは水を使った表現をする」というのも評論文の中によく出てきてたんだよね。
今回鑑賞してその意味がよく解った。
上の写真は井戸なのかタライなのか分からないけど、そこに入っている水が流動している様を写した映像を4枚並べたもの。
この説明を読まないで写真だけでみると、まるで月か地球の衛星写真か、と思ってしまうよね?
こんな映像が何の脈略もなく、ポンと挿入されるんだよね。
かなり実験的な映像で、目が釘付け!
タルコフスキー、やるなあ!(笑)

これも水の映像なんだよね。
鯉みたいな魚が泳いでいるんだけど、血みたいな赤色の液体から重油みたいなドス黒い液体が魚を覆い尽くしてしまうシーン。
何を表しているとか、そんなことどうでも良くなっちゃうよね。
タルコフスキー独自の美的センスがよく解ったよ!

人それぞれ好みがあるし、映画の鑑賞法も、映画に求めるものも違いがあるのは当然だよね。
「ストーカー」は誰にでもお勧めの映画とは言えないけれど、廃墟写真が好きな人は絶対好きだと断言できるね!(笑)
タルコフスキーの他の作品も鑑賞してみよう。
体力と気力のある健康な時に、ね!

映画の殿 第15号 映画の中のニュー・ウェイブ02

【今回は絶体絶命の男たち特集?】

ROCKHURRAH WROTE:

前に予告した通り「映画に使われた70年代パンク、80年代ニュー・ウェイブ」という企画の第二弾を書いてみよう。
やっぱり似たような音楽ネタばかりやってしまうなあ。
映画を観て感想はこれだけ、というほどじゃないんだが、真面目な感想を書くとなるとおそろしく時間がかかってしまうのがROCKHURRAHのいつものパターン。
だから評論でも感想でもない、違った視点で映画を語ってみようというのがこのシリーズの主旨なのだ。

さて今回、最初に語ってみたいのがいきなり映画じゃなくて、しょっぱなから視点が違いすぎという気がするが「ブレイキング・バッド」から。
数年前に大ヒットしたアメリカのTVドラマで日本でも中毒者が続出した、きわめて毒性の高い作品だ。
「ツイン・ピークス」以外の海外ドラマに見向きもしなかったし、日本のTVドラマはなおさら観ないSNAKEPIPEとROCKHURRAHが毎週末を楽しみにして(リアルタイムではない)観たのも記憶に新しい。
結局、まとまった感想はブログでは書かなかったが、前に書いたこの記事で少しだけ触れているね。

ガンを宣告された高校の化学教師ウォルターが、生きている間に家族に財産を残すために考えたのがメタンフェタミンという覚せい剤を製造、販売する裏事業。
元、教え子のジェシーを勧誘してトレイラーでこっそり作りまくる週末。
このジェシーが問題児でトラブルメイカー、ことあるごとに反発してくる。コンビとしては最低の結束力でスタートをする。
ウォルターは今でこそしがない教師だが、過去には素晴らしい業績を残した優秀な科学者という設定だ。だからメス(メタンフェタミン)を作るのも完璧にこなし、純度の高いメスは「ブルー・メス」と呼ばれ市場に出回り、口コミで評判を得てゆく。
作ったメスはさばかなきゃ商売にならない。その売人として現れるのが最低の奴ら。
物語の終了までに売人どもの元締めが何人か現れ、大掛かりな組織も出てくるが、ビジネスの常でどんどん敷居が高くなってゆき、欲に目が眩んだ売人たちとの抗争はエスカレートしてゆく。
ボンクラ弟子のジェシーとも毎回のように争いが絶えず、付いたり離れたりという展開に目が離せない。
こういう裏稼業を家族に内緒で始めて、表向きはいい夫、いい父親でいようとするんだが、いつかは破綻するに決まってるよね。妻や息子に隠すために毎回ウソをついて、そのウソによって自分ががんじがらめになってゆく。おまけにウォルターの義弟ハンクは麻薬取締局DEAのリーダー格であり、ものすごい執念でブルー・メスとそれを作った謎の存在(つまりウォルターなのだが)を追い詰めてゆく。
こういうのが幾重にもからみ合って複雑なドラマになってゆくんだが、最後の方はもう後戻り出来ないところまで行って、共感出来るどころかTVドラマ史上最も憎まれるキャラクターにまでなってゆく過程がすごい。
善良な市民だった主人公が一番の怪物になってしまうというわけ。

このドラマは映像や音楽も色々と凝ってて興味深いけど、今回紹介したいのはこれ。

これは一体何のシーンなのか観たことない人にはさっぱりわからないだろうが、左のハゲが主人公のウォルター。ベッドに座っているのが息子、右のハゲがDEAの義弟ハンク。そしてみんなで観てるのが変な男の変な映像というシーンだ。本来なら家族なごみの時間というシーンなのになぜウォルターはこんなに苦悩の表情なのか?関係ないけどこのドラマ、主要登場人物のハゲ率高すぎ。

途中からジェシーの代わりに麻薬密造の弟子になるゲイルという男がカラオケで歌っているのがピーター・シリングの大ヒット曲「Major Tom」だ。日本ではほとんどこの曲だけでしか知られてない一発屋だな。

「ロックバルーンは99」を大ヒットさせたネーナ、「ロック・ミー・アマデウス」や「秘密警察」を大ヒットさせたファルコなど、80年代初期になぜか英米ではなく、ドイツ語圏から世界的にポツッとヒットしたシンガーが何人か現れていて、この曲もそのひとつだと言える。
ROCKHURRAHがよく語ってるドイツ産のニュー・ウェイブ、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレをすでに聴いてしまった後ではドイツ語のロックもポップスも特に目新しいものではなかったが、一般的にはドイツ語の違った語感が斬新に感じられたのかも知れないね。
ちなみにファルコはドイツではなくオーストリアのシンガーだが、ROCKHURRAHがかつて所有していたノイエ・ドイッチェ・ヴェレの三枚組アルバムには堂々と収録されていたな。
さて、この一発屋のヒット曲、メロディーに聴き覚えはあったのだが、歌っているピーター・シリングについてはほとんど知らなかったな。今回の記事を書くために改めて見なおしたがうーん、印象希薄。ここまで歌と歌手の顔が一致しない曲は珍しいかも。曲は有名なんだけどね。

デヴィッド・ボウイが名曲「Space Oddity」で創作した宇宙飛行士、トム少佐は宇宙の彼方に行ってしまったが、この曲でのトム少佐は帰還したというような内容らしい。
ニュー・ウェイブの世界の人ではないのだろうけど、曲調やSFっぽい歌詞などのムードは明らかにその路線を狙ったものだと思える。取ってつけたようなバックバンドの宇宙服と全員で首を振るヘンな振り付けはクラフトワークとDEVOとゲイリー・ニューマンあたりを意識したつもりか?
演奏は別にテクノでもエレポップでもなくa-haとかの路線。
その辺をごちゃまぜにした「なんちゃって感」が満載という気がするが、肝心の本人がブレザーに白パンツという周りを無視した若大将並みの姿。

「ブレイキング・バッド」に出てくるゲイルはウォルターと同じ化学者だが、変なこだわりと趣味を持つオタクみたいな描かれ方をしている。自撮りで陶酔したカラオケの映像を録画してたら、そりゃ大抵の人間は引いてしまうよな。しかし、そこまで重要人物とは思わなかった彼が思わぬところでドラマのキー・パーソンになるという展開は面白かった。

ひとつ目が長くなりすぎたからすでに疲れてしまったが、次はこれ。
1990年代以降のイギリス映画をリードしたのがダニー・ボイル監督。
大ヒットした「トレインスポッティング」や「スラムドッグ$ミリオネア」「28日後…」などで知られた監督なんだが、この映画はそこまで話題にならなかったのかな?「127時間(2010年 )」という作品だ。

この監督は毎回違った題材で映画を撮っていて、一貫した作風もないのに、スピード感ある演出と映像という点でダニー・ボイルっぽさを感じてしまうというのが特徴だと、ROCKHURRAHは勝手に解釈している。
具体的には走ってるシーンがとにかく多い印象。

「127時間」は実在する登山家、アーロン・ラルストンの体験を原作とした映画でストーリー自体は実に単純そのもの。
主人公はユタ州の広大な峡谷でキャニオニングというアウトドア・スポーツを楽しんでいる。個人的にはあまり耳慣れない言葉だけどトレッキングと様々なスポーツが合体したようなものか?要するに峡谷の中に入り込んで楽しむためにはそういうハードな難関を突破する技術が必要ということだろうね。しかし自然の事故で大岩に片腕を挟まれて身動きが取れなくなってしまう。
誰にも行き先を告げずに来た深い谷の中、ここを偶然に通りかかる人などいるはずもない。そういう絶体絶命で死を覚悟した彼は、持っていたビデオカメラの電池が尽きるまでメッセージ(というより日記)を残す。

広大な自然の中の密室劇で観ている方も息詰まるような緊迫感、絶望感。
たったこれだけの内容で90分ほども飽きずに見せるのは難しいと思うが、想像しただけでその恐怖はわかるだけに目が離せない。
そんなに大げさなものじゃなくても誰にだって何かに挟まって抜けなくなって焦ったような経験はあるだろう。ん?ない?ROCKHURRAHは大昔に狭い隙間に半身を入れたが抜けなくなってものすごく焦った経験があるよ。たぶん落とした何かを拾うためにやったんだと思うが、この程度でも恐怖が脳裏に焼き付いているほど。人里離れた山の中でそんなことになってしまったらどうなるだろうか?

映画の中で主人公が回想する、楽しかった思い出のシーンで使われているのがこれ。

ベルギーの70年代パンク・バンド、プラスティック・ベルトランの大ヒット曲「Ça plane pour moi」だ。
プラスティック・ベルトラン率が非常に高いと一部で有名なウチのブログだが、またまた書いてしまうな。しかもいつどの記事を読んでも同じような事しか書いてないよ。

元々はベルギー産パンク・バンドとしてかなり早い時代から活動していたハブル・バブルのメンバーだったのがロジェ・ジューレ、この人のソロ活動がプラスティック・ベルトランという事になるのか。
「Ça plane pour moi」はベルギー、フランスだけでなく世界中で大ヒットして日本でもプラスティック・ベルトランのアルバムは発売された。
アルバムのタイトル曲は「恋のウー・イー・ウー」だったがシングルではなぜか「恋のパトカー」という邦題がついてたな。どっちも同じヴァージョンなのにね。しかもどっちもどうでもいい、ぞんざいなタイトル。
とにかくものすごい数のカヴァー曲が存在していて英語版の替え歌(?)「Jet Boy Jet Girl」なども含めると星の数ほど(大げさ)。
曲自体はとてもシンプルなロックンロールなのになぜここまで多くの人の心を掴んだのか?奇跡の大ヒットとしか言いようがないけど、誰でも覚えられるキャッチーさあってこその大ヒットというわけかな。

実はこの曲、本人が歌ってなくてプロデューサーだか何だかが歌ったのを口パクしてただけというような情報もあったんだが、そんな事はどうでもいいと思えるハッピーさが炸裂する名曲だなあ。
うんちくやオタクみたいな考察は抜きにして楽しめばいいのだ、と思ってしまう。プロデューサーが歌って本人がTVに出るよりも、見栄えがしたからプラスティック・ベルトラン名義にした。そういう戦略だったのかも知れないし。
ちょっと前のゴーストライター騒動で正義感ぶってたような人間が読んだら「とんでもない詐欺師だ」などと言われてしまうかな?

前に一回書いたけど個人的な思い出としては、ROCKHURRAHがまだ故郷である小倉の住人だった頃、レコード探しにちょくちょく福岡まで出かけて行って、チマチマとパンクやニュー・ウェイブのレコードを買い漁っていた。なぜかベスト電器という家電量販店の中にすごいパンクのコーナーがあって、そこのスタンプ・カードが満タンになって獲得したのがこのプラスティック・ベルトランのアルバム「An 1」だった。いや、別にどのレコードでも良かったんだが、たまたま探してたのが見つかったから。

それから何十年経つだろうか?おとといも昨日も今日もプラスティック・ベルトランを聴いている、精神的にまるで何も変わってない自分がいる。たかが音楽だけど音楽の持つ力は偉大なり、と思うよ。プラスティック・ベルトランだけじゃなくてROCKHURRAHが普段聴いてる音楽は全てあの頃のまんまなんだよ。

今日はえらく長くなってしまったからたった2つだけでカンベンしてね。
「映画の中で使われたパンクやニュー・ウェイブについて」というテーマはいいかげんに書けるとは思ったけど結構難しい部分もあるな。もっといっぱい映画を観ないとな。
さて、今日は何を観ようかな。