昔の名前で出ています、か?(其の四)

【今回出てくるキーワードを散りばめた画像をSNAKEPIPEが制作。何だこりゃ?

ROCKHURRAH WROTE:

何と最後に書いたのが2010年、6年も経って書いてる本人にもまさかの更新となるシリーズ記事がこの「昔の名前で出ています、か?」だ。

本来は、かつてレコード好きでかなり収集していたROCKHURRAHが懐かしのレコード屋を回想するという企画だった。
そういう事をやってた現役の頃からかなり時が流れているから、もしかしたら足繁く通った店はあとかたもなく潰れてるかも知れない。
移転、または店名自体が変わってるという可能性もある。
しかしそんなことをいちいち調べて書くとものすごく大変だから、本当に単なる記憶だけで書いたのがこのシリーズ記事だった。
6年経った今もまるで進歩してないどころか、記憶力が退化してSNAKEPIPEと二人で「あー。あれ何だっけ?」「誰だったっけ?」とか言いながら忘れてたことを思い出す毎日(笑)。
これじゃいかんと思い、記憶がまだ多少あるうちに(大げさ)過去のことを記録しておかねば・・・なんて大層な理由じゃないんだけど、久しぶりにこういう「昔」ネタを書いてみよう。

今回はレコード屋とか音楽に限らず、ROCKHURRAHの故郷とも言える小倉にあった店についてテキトウに思い出してみるよ。本当にテキトウなので呆れないでね。
この際、重要度は抜きにして思い出したかどうかだけがポイント。

日本の地名でどれくらいメジャーなのかわからんけど、福岡県北九州市にあるのが小倉という地区で小倉北区、小倉南区の二つに分かれている。
ROCKHURRAHの生まれは福岡県のもっと南西の山の中なんだけど、そこから西鉄大牟田線にあった基地の町を経て、小学生の時に北九州に引っ越してきた。ROCKHURRAHが生まれる前から親は割と転々としたらしく、意外と風来坊な気質だったのかな?
ROCKHURRAHも東京、福岡、京都、千葉、まあまあ転居が多いけど東京に出るまでの間はずっと小倉の住民だったわけで、当然何かの思い出やエピソードもあるのは間違いない。とは言っても別に劇的に生きてきたわけじゃないから他愛もない平凡な思い出ばっかりだったなあ。

先日、何年ぶりかで小倉に帰る用事があったんだが、何と小倉に滞在していたのはたった三時間だけという、芸能人並みのスケジュールで行動した一日があった。
急用じゃなければもっとゆっくりしていたかったんだけどね。

さて、そんな小倉の、人にとってはどうでもいいと思える場所を思い出すので少しの間、過去に遡ってみよう。
偶然この記事を読んで同時代を体験し、今でも覚えている人はどれくらいいるのかわからないが一人でも「ああ、あったねえ」と思い出してくれればそれでいいよ。
あらかじめ断っておくがROCKHURRAHが過ごしたその時代の小倉に限定してるので、その後でも前でもない。一応、当時の記憶でマップを作ってみたが、もちろん今の小倉っ子が読んでもよくわからないだろうな、と想像する。

ROCKHURRAHはこの街でパンク・ロックに目覚めレコードを買い始めた。
がしかし、そういう眼で見ると小倉の街はとても遅れてて、ちゃんとした輸入盤のレコードが買える店も当時はほとんどなく、仕方ないから小倉よりは都会だった博多、天神に買い物に出かけていた。
この辺はまあこのシリーズ記事の最初でも書いたな。

ROCKHURRAHはただレコード集めだけを趣味にしていたわけじゃないからパンクでニュー・ウェイブな服装とかにも興味があった。
まだ学生で金もなかったからバイトをして、その金でレコードや服を買っていたものだ。東京のように安く古着とか買える店もなく、そういう物価は逆に小倉の方が高かったのは確かだった。
その頃、よく通っていたのが「びんろう樹(MAP①)」という洋服屋。今では滅多に使わないけどブティックという言葉に当てはまる店(笑)。
魚町銀天街(小倉の中心地を貫くアーケード街)のどこかのビルの二階にあったな。ちょっとゲイっぽいと勝手に思ってたお兄さんがいて、少しニュー・ウェイブの話をしてた覚えがある。今では知ってる人も稀だと思えるがCOZO COMPANYというメーカーの出していたラバーソールの靴がロボットやジョージ・コックスなどの本家とは違った感じで、これが気に入ってボロボロになるまで愛用していた。

あと、小倉の中心街から離れた片野という何もないような場所になぜか当時の東京の古着屋にも負けない意気込みの古着屋があったな。
確か「ダイヤモンド・ガーデン(MAP外の場所なので番号なし)」というような店名だったが覚えてる人はいるだろうか?
ただ古着だったら何でも置く店と違い、ここは明確にフィフティーズ、ロカビリー専門の店だった。外観や内装も50年代っぽくしてて地方ではなかなか誇れるくらいの店構えだった。
暴走族、ヤンキー、そしてそのOB達が多く住む暴力都市だった小倉だから、リーゼントの延長としてロカビリーが人気だったのか?あまり関係ないような気もするが、確か高校の先輩の友達が店員だったかな。本当の古着に混じってジョンソンズやクリームソーダなども置いてあったな。
ジョンソンズのズートパンツを買った覚えがあるが、ポケットに変なくせがついてて、すぐに逆向きになってしまうからほとんど穿いた記憶がないよ(笑)。
同じ頃に買ったレーヨンのシャツは確かとても珍しいもので、これは後に東京で古着屋通いをしてた頃、色んな店で「すごく良い」と評価されたなあ。モデルが良かったか?
この店は意気込みは良かったに違いないが、たぶん場所も悪かったからすごく短い期間で閉店したような気がする。

その頃よく行ってたのが小倉駅前の「UCC(MAP③)」の喫茶店。別に何てことない普通のサラリーマンや学生が集うような店だった。パチンコ屋が並ぶ近くだったからスポーツ新聞広げて開店を待つような客も多く、ガラも悪かった。ああ、当時の小倉は本当にデンジャラスだったよな。ROCKHURRAHのようにパンクでニュー・ウェイブだった人間がわざわざ行かなくても、というような店構え。ここでよく食べてたのが何だかよくわからない鉄板焼きのようなナポリタンだった。目玉焼きが上に乗ってて食べてる間に下のほうが焦げてしまうという貧相な料理だが、このパリパリの焦げが気に入ってたのかな?最後に小さなグラスでコーヒーフロートがついて来て、かなりお得感があるメニューだったな。

魚町銀天街から横にそれた通りの小洒落たビルの二階にあったのが「コーヒー オオニシ(MAP④)」。一階がマックアビーという洋服屋、隣が本間ゴルフの店だったかな?またしてもビル名思い出せないよ。記憶が確かじゃないとムズムズするね。
これまたパンクやニュー・ウェイブゆかりの店とはまるで違ってたけど、当時仲良くしてた四人組のたまり場だった。音楽仲間、ただしやってる方じゃなくてリスナーの方ね。
毎日のように通ってるうちにここのバイトになってしまった。
下のマックアビーには小学校の時の同級生が働いてたな。小学校の時はほとんど話した事なかったし、再会しても「あー、六年の時の」程度の顔見知りだけど、狭い世界だったな。
店主は天才肌だがものすごく偏屈な人で、店舗経営には間違いなく向いてなかったタイプ。いい店だったんだがその店主が突然店に来なくなってあえなく廃業。
しかし潰れる前には結構、ROCKHURRAH一人で店を開けて一人でウェイター&厨房やって、ランチタイムとかまで切り盛りしてたもんだ。今よりもずっと有能だったらしい。

魚町銀天街が終わった先には旦過市場という古い食品街があった。他に例える市場を知らないから言うが、京都の錦市場みたいな感じで、あれよりももっと「戦後感」に溢れるゴミゴミした通りだった。入り口には「丸和」というスーパーがあって、当時の地方都市には珍しい24時間営業だった。
この店については特に書いてないが当ブログで「マルワランド・ドライブ」というデヴィッド・リンチのパクリみたいなタイトルで傑作記事を書いていたな。

その旦過市場入り口の横の方の角に全日空ビルというのがあって、そこの地下には「シェリーズ・バーMAP⑤」という巨大なカフェバー(たぶん死語)があった。
それより前から小倉の鳥町食堂街にあった「はんぷてぃ・だんぷてぃ」というパブのメンバーが独立して店舗を構えたように記憶する。何とROCKHURRAHの兄も創業時のメンバーの一人で、数年後にROCKHURRAH自身も少し働いたことがあった。
当時の小倉ではカッコイイ店のつもりだったんだろうが、なぜか一番盛り上がる時間帯にマイケル・センベロとか流すような店だった。スタッフはみんないい人だったけどね。
数年後、ROCKHURRAHがすっかり東京の住人になっていた頃、潰れたと風の便りに聞いたな。

ROCKHURRAHはバイクや車にはそこまで興味がなかったが、移動手段としてスクーターを愛用していた。東京に出た後は一切乗ってないから、この時代限定なんだけど、これによって一気に機動力が増して行動範囲も広くなった。機種名は敢えて書かないがヤマハの割とパワフルなのに乗ってたよ。
小倉や福岡の市街を網羅している交通手段はバスが主流だった。独占企業と言っても良いシェアを誇ってるのが西日本鉄道、通称西鉄バス。これが狂気のように北九州に網の目状のバス路線を開拓したから、北九州のどこへでもバスに乗りさえすれば行けるくらいに発達していた。小倉駅前から実家に帰るのにいくつもの路線が存在するほど。まあ便利と言えば便利なんだけど、行きたい方向の路線が複雑すぎて慣れないと大変でしかも運賃がバカ高い。
だからスクーターは自由に動きまわりたいROCKHURRAHにとっては大切な相棒だった。これに乗って大好きだった苅田の埋立地に出かけたりしたもんだ。こんなところにトラックでもなくて来るのは釣り師かROCKHURRAHくらいのもんだったなあ。
あと、気に入って行ってたのが南小倉にあった「満遊書店(MAP外の場所なので番号なし)」という巨大古本屋。ブックオフとかの大チェーン店でもなく、九州にしかなかったように記憶するが圧倒的な量の古本在庫があって、初めて入った時にはカルチャー・ショックを受けたものだ。他の店舗は知らないが福岡空港の近くにも最大規模の店があり、あまりにも巨大過ぎて本を探してる途中で疲れたり力尽きたりしたが、これは東京あたりの小型古本屋しか知らないような人が見たら卒倒するくらいの質量(大げさ)。

あくまでも個人的な思い出の小倉ばかりを思い出してみたけど、久しぶりに原点を思い出すのは楽しかったよ。また今度、気が向いたら色んな事を回想してみよう。

ではまた、さらばっちゃ(←小倉の人は絶対言わない)。

昔の名前で出ています、か?(其の三)

【ゆかりのあったレコード屋の袋やロゴたち】

ROCKHURRAH WROTE:

前回同じタイトルで其の二を書いたのが去年の11月末。何と半年も経ってしまったがまだやるのか?と本人さえ呆れてしまうこの企画。寝たきりでネタもないというわけじゃないんだが、パンクやニュー・ウェイブが最も輝いていた時代のレコード屋、そしてレコードを探しまくった青春の日々、インターネットがまだ普及しない時代の音楽好きの努力、それらを書き留めて我が忘備録としよう・・・なんて事は全然考えてない。
ただ「ああ、こんなレコード屋あったなあ」と一人でも思い出してくれる人がいればそれでいいのだ。

かつてROCKHURRAHのパンク&ニュー・ウェイブのネタ帳はVOLUMEという電話帳みたいな洋書だった。要するに世界各国のニュー・ウェイブ系バンドのメンバーとかレコードのリリースとかが紙のデータベースとなっていてお目当てのバンドを検索したり出来るもの。毎年刊行されているのかは不明だったが解散したり消えてしまったバンドはそのままデータが残り、新しく増えてゆくバンドはどんどん載っけるという方針の本だから例えば1984年度版は1982年度版より三倍くらいの厚さになっているというシロモノ。ちょっと考えればわかりそうなもんだがこの方針で毎年刊行してゆくとどんどん分厚くなってしまい、常識では考えられない重さとなる。編集者や発行者は「世界一の音楽データベースを作ってやる」というような意気込みで分冊にするなど思ってもみなかったのだろうか?これまたパンク的な発想かな。
まあそういうニュー・ウェイブ辞書みたいなものを毎日のように眺めて「このバンド聴いてみたい」と思ってレコード屋巡りをしていたわけだ。

どこまで書いたっけ?前回はかつての「全国レコード屋MAP」みたいに土地の括りで書いたけど、実は分類するの苦手なんで、今回は気の向くまま思い出すままにいいかげんに書いてみよう。

MODERN MUSIC
明大前なんて他に用事ないから最後に行ったのはいつだったか?世田谷代田に住んで下北沢を生活の拠点にしていた時代は近所だったためよく行ってたのを思い出す。当時は実行した事なかったけどもしかしたら自転車でも行けたかも、という距離。
ここはアングラなロックやアヴァンギャルド関係は充実していたが個人的に不要のコーナーも多くて、この店を100%堪能した良い客とは言えなかったな。なぜかすごいプロレス好きの常連がカウンターを占拠しているので買いにくい店でもあった。什器から取り出すのに苦労するほどパンパンにレコードが詰まっていたなあ。がしかしモノクロのNICOの袋を多数所持していたという事は結構買ってたんだろうね。
このレコード屋の思い出はここまでなんだけどModern Musicという言葉について独白してみたい。高校の修学旅行は沖縄だったのだが、その直前にビーバップ・デラックスの「Modern Music」を聴きまくっていて、沖縄=「Orphans Of Babylon」や「Honeymoon On Mars」という彼らの曲がいつでも頭の中のBGMとして鳴り響く。全く関係なさそうなのにこの条件反射が一生ROCKHURRAHには付き纏ってゆくのだろうな。それこそ他の人には全く関係ない個人的な関連付けでした。

パテ書房
ちょっと前にSNAKEPIPEが国分寺の超山田堂について書いた時にROCKHURRAHの談話として店名を出してもらったが、大昔に恵比寿付近にあったのがこの店。東京に出てきたばかりの頃に土地勘も全くなくて苦労しながら行った覚えがある。あの頃ははじめてゆくレコード屋に対する期待が大きくていつでもワクワクしてたもんだ。そして後年になってROCKHURRAHは茶沢通り(三軒茶屋と北沢を走る狭い道)沿いにある中古ゲーム屋の店長になった。同じ店の店員でパンク、ニュー・ウェイブ、サイコビリーなどに詳しい男がいて、その子は池ノ上(下北沢の隣駅)に住んでいた。で、その子の情報で池ノ上に怪しいレコード屋があるという事を知ったんだが、それがこの店との再会だったわけ。詳細な記憶はほとんどないんだがここもまたアングラな系列で書房というだけあって本もレコードもマニアックなものが多数あったはず(たぶん)。
店主とおぼしき人物、なぜか客が入ったらサングラスをかけて腕組みしながらこちらを睨んでいる、というような事ばかりが印象に残っている。実はROCKHURRAHもずっとサングラスで客商売していた人間だからそういう事に関しては特に偏見はないんだけれど、一般的な客だかひやかしだかわからない者にとっては敷居が高い店なのは確かだろうね。雰囲気は全然違うけど前に京都にあった(今もあるのか?)伝説のアスタルテ書房をちょっと思い出してしまった。敷居が高いというよりは店内に入るのに勇気がいる店という点でね。

ZEST
当時の渋谷は東急ハンズの坂道を下ったところにタワーレコードがあったように記憶する(かなりうろ覚え)。この辺の量販店は基本的に行かないし注目した事なかったので記憶違いは許して。ZESTはその横の方にあるビルの上の一室だった。マンションの部屋がそのまま店舗になったような雰囲気で、ここも渋谷に行った時はよく訪れた場所だった。非常に狭い店だったな。スコットランドでギターポップ初期にポストカードという有名なレーベルがあったのだが、そこのマークと同じ猫をトレードマークにしていた。当然、得意分野はギターポップやネオアコだと思えるがそればかりとも言いきれず、壁にはドイツの重量級デジタル・パンクの雄だったTommi Stumpfのジャケットが飾られていたというような時期もあった。時代的にはネオアコ&ギターポップとノイズ&インダストリアル&ジャンク系(カオス系とも言われていたな)とかは同時期に発展したという事もあって、両方のニーズを満たす店ならばそういうのもアリだったのかもね。この店でかなり買ったとは思うがどういう系統を買っていたのか思い出せない。

CSV
同じ渋谷の「たばこと塩の博物館」隣くらいにこの店はあったような気がする。いかにもメジャーな店構えとレコード屋なのがわからない店名、カンマ区切りテキストじゃないの?しかし置いてるレコードはなかなかマニアックでさすが東京の文化は高いのう、と田舎者だったROCKHURRAHは思ったものだ。大昔に代々木にあった前衛的プログレの殿堂イースタン・ワークスがルーツらしいが、随分イメチェン(死語)した印象。場所柄、サブカル文化人(嫌な言葉)や有名人もよく見かけたという噂も聞く。しかし、かなり短命なレコード屋だったし、そもそも渋谷があまり好きじゃなかったので数えるほどしか行った覚えはない。大晦日にオールナイト・セールやってた時に行ったような記憶があるが袋も覚えてないし、買った事なかったのかもね。

思い出のレコード屋特集というような趣旨で書き始めたのに文章読み返してみると何だかちっとも思い出らしくないな。レコード(モノ)にもレコード屋(場所)にも愛着はあるのに結局はそこにいる人たちと個人的なつながりが全くないからなんだろう。「あんな店で働けて羨ましい」とかそういうネガティブな気持ちばかり持っていた若い頃の自分に問題があったのか?。向いてないからあまり自分の事を分析したり考えたりするのは止めよう。
さて、次回があるのかどうかは本人の気分次第。書きたくなったらまた書いてみよう。

昔の名前で出ています、か?(其の二)

【ROCKHURRAH RECORDSにならなかったらやってみたかったもの】

ROCKHURRAH WROTE:

(「其の一」を未読の方はそっちを先に読んで下さい)
何だか毎年恒例のような気がしないでもないが、SNAKEPIPEは先週のブログを書いた後に何年ぶりかのひどい風邪でダウン、今も寝込んでいるような状態だ。
それに加えてROCKHURRAHの愛機iMacなんだが、Snow Leopardのヴァージョンを10.6.2にアップデートしたとたんにメニューバーの表示がおかしくなってしまい、しかたなくMac付属のTime Machineというバックアップ・ソフトでアップデート直前の状態に復帰。
と思ったらバックアップ用にしていた外付けハードディスクが壊れてしまい、何度やっても復帰失敗という悲惨な状況となってしまった。結局新たにOSをインストールし直してもう一台あった外付けから何とかデータや設定は引き継いだものの、これで二日間も費やしてしまった。今も完全に元通りにはなってない状態。今週のブログには間に合ったが、直前までてんやわんやの修羅場だったのが実情だ。

さて、SNAKEPIPEとROCKHURRAHの二人が敬愛しているミステリー作家、鳥飼否宇先生本人(もう呼び捨てには書けません、そして本当にありがとうございました。)から何とありがたいコメントを頂戴したという栄誉ある記事「昔の名前で出ています、か?」の第2部を書いてみよう。

前回はROCKHURRAHの故郷である福岡のレコード屋についての思い出を語ったが、今回は上京後の事。

すんごいローカルな話で申し訳ないがROCKHURRAHが生まれたのは陶芸で有名な福岡の山の中、物心ついた時にはかつて米軍ベースキャンプがあった基地の町にいた。なぜか米軍ハウスの払い下げ住宅なんかに住んでカッコいい身分だったんだが小学生の時に自分の不注意でちょっと実家燃やしちゃって、それが元で北九州に移り住む。そして上京するまでの間が前回の福岡レコード屋あたりの話だ。(「其の一」参照してね)

それで結局、その当時の北九州の荒涼とした雰囲気が嫌で東京に行く事にした。文化も音楽もやはり日本の最先端だからね。

上のような感じで自伝風に書いてみようとしたが、前書きも長かったし、たぶん長くなり過ぎるのでこの当時の東京レコード屋MAPをピンポイント殺法で紹介しよう。

<西新宿>
上京した最初、自分の部屋を探すまでの間は友人の部屋に少しの間、居候していた。それが新大久保、というか歌舞伎町の裏手の方(笑)。いきなり東京の右も左もわからない貧乏な田舎者がよりによってディープな場所に住んでいたものだ。そこからは西新宿のレコード屋通りまで歩いて行けたのが唯一良かった事。
その当時よく行っていたのはUK EDISON新宿レコードあたりかな?

まだ本格的にレコードをコレクションする前の時代であり、貧乏であり、そもそも自分の部屋もないのにレコード集めてどうすんの?という状況だったな。風呂もトイレもない6畳一間のアパートに友人カップル+自分という絵に描いたような若気の至りの生活してたあの頃。「俺たちの朝」じゃあるまいし。
UK EDISONは当時流行りの若者文化であるパンクやニュー・ウェイブをいち早くメインにした輸入レコード屋の老舗というべきか?実はこの後下北沢に移り住んで少し行った事がある程度で、最も早く足を運ばなくなったレコード屋のひとつがここなのだ。だからあまり思い出もないし、その後この店がどうなったのかも全く知らないときている。おや?福岡にはまだ実店舗あるのか?思い出と言えばいつ頃だったか、大晦日にオールナイトのセールをやるという事で張り切ってパンクな正装で一晩中東京レコード屋巡りをしていたものだ。
通称ジュクレコで知られる新宿レコードは前編で書いたベスト電器のような感じで普通のレコード屋、なのに一角で輸入盤も扱っていて貴重な委託盤なども置いていた。どちらかというとメタル系メインの店なんだろうけど当時はパンクやニュー・ウェイブも扱っていたという記憶がある。80年代はレコードを身上潰すほど(笑)買いまくっていたもんでレコード袋コレクションも膨大だったんだが、この店の袋があまり記憶にないという事は買ってなかったんだろうね、きっと。覚えているのは近くにあったとんかつ「にいむら」の味だけ・・・。

しかし西新宿がレコード・コレクターの聖地だった時代に最も有名だったのは上記の店ではなく、ウッドストックや現在も活躍しているVINYLなどが代表的な店だろう。
ところが老舗のウッドストックも買った記憶がほとんどない。名前知らないが小さな公園の横にあるという素敵なロケーションだったにも関わらずROCKHURRAH好みのインチキな音楽があまり置いてなく、本気で玄人受けのする店だったからなあ。後年スカやレゲエの店になってからは全然行かなくなったし。
それに対してVINYLの方は西新宿ではダントツによく行ったし買ったものだ。あのピンクの袋コレクションも並べて敷き詰めると東京ドームの面積とほぼ同じ(ウソ)。
最初は一店舗しかなくてそのオープン当初に行った覚えがあるが、店の四隅に防犯見張り要員が立っていてまさに四天王状態。そこまでレコード引ったくり事件が多発してるのか?と思えるほどだ。まあパンク、ニュー・ウェイブ、ネオロカやサイコビリーのレア盤についてはよくぞここまで集めたもんだという充実ぶり。盤質が良いわけでもないし高いし、コメントとかもほとんどなくむしろ不親切な店なんだが、夢にまで見たようなレコードがちゃんと売っているという事が凄かった。VINYL JAPANレーベルのレコードもさすがに全部取り揃えていたし、どのジャンルのマニアも楽しめる店だと思う。休みの日は新宿に出てVINYL界隈からディスク・ユニオンというのが黄金のパターンだった。

<下北沢>
新大久保の友人宅を出て一人暮らしを始めた場所は東北沢だった。当時は駅前に何もなく(今もそうかも知れないが)こじんまりとした静かなところだったが歩いて下北沢にゆけるという点で地の利は良かった。当時の下北沢は演劇や音楽関係者の人々に愛されて街全体に熱気と文化が溢れていて、個性的な人間のたまり場だったものよ。ここでROCKHURRAHは下北沢を訪れた人なら誰でも目にする有名な古本屋、ビデオ・レンタル、CD屋のドラ・・・いや、そのチェーン店の店員となる。今では下北沢に何軒もある大手になっているが当時は古本屋とその向かいのビデオ屋の二軒だけしかなかった。その店で出会った人々もかなり強烈に個性が強かった(ちなみに東京タワーズでいぬちゃんで「ドレミファ娘の血は騒ぐ」のあの人も同じ店の店員だった)が、パンクもテクノもネオ・サイケもガレージもフリー・ジャズもアヴァンギャルドもヘヴィ・メタルもみんな同時代に一緒くたになって酒を飲んで集っていたすごい面子。今はもう誰ともつき合いがないが、彼らとの交流で得たものはきっと今のROCKHURRAHの中にも生きているだろう。

さて、回想だか何だかわからなくなってきたがその店を卒業後、すぐ横にあったアメリカ買い付けの廃盤、カット盤専門店フラッ・・・いや、その有名レコード店にほんのわずかだけ籍を置く。オーナーは長髪にヒゲ、キリストかエル・トポかというような風貌なんだがまあパンクで紛い物大好きというROCKHURRAH、この店の雰囲気に合うはずもなく、ちょっとした事が原因ですぐに脱退してしまう。

この後はこれまた下北、渋谷、吉祥寺などで展開しているレコ・・・、いや、その大手中古レコード屋に潜り込む。ここでは店舗スタッフではなく、非常に珍しい経験なんだが、中古レコードの洗いという仕事を行なっていた。
DJ用ターンテーブルのようなものが2つ並んでレコードを仕掛けるんだが、アームの先はちょうどレコード盤のヴィニール部分を洗うための刷毛になっており中性洗剤ベースの洗浄液でまず全体を洗うという仕組みになっている。その後ビチャビチャの盤面を吸い取るための別のアームをセットして乾かすという工程を経て中古レコードはきれいになる。これを2台でリズミカルにうまくやるのは結構慣れがいる仕事でしかも1枚いくらの出来高制ときた。最初は洗浄液をつけ過ぎて中央のレーベル面(紙)を濡らしてしまったり失敗が多かったものだ。この当時ここで買った中古レコードのレーベルが水濡れ跡のようになっていた方、犯人はROCKHURRAHです。
買い取った中古レコードを一番最初に検分出来る身分で中にはお宝のようなものも当然混ざっている。これは個人的には非常に価値のある経験だったんだが何だか得体の知れない相方(日本人を非常に憎んでる人種)と二人だけ密室で一日中これやってるのも非常にしんどかった。しかも教えてもいないのに正月に自分の部屋訊ねて来られたり、ある意味デンジャラスな経験だったな。

あれ、全然下北沢の過去レコード屋紹介になってないし単なる身の上話、しかも思ったよりもずっと雄弁に語ってしまった。長くなり過ぎたのでこれ以上書く気なかったけど仕方なく「其の三」に続く。本気で続きあるのか?

昔の名前で出ています、か?(其の一)

【異界の場末にて好評営業中のROCKHURRAH RECORDS!】

ROCKHURRAH WROTE;

今週は本業なんだか趣味なんだか、今ではROCKHURRAH RECORDSなどという看板を一応掲げて細々と通販やってるROCKHURRAHがその昔に通っていたレコード屋について語ってみよう。今回はちょっと自伝風。

本当は「あのレコード屋はどこに行っちゃったんでしょうねぇ」というような文章にする予定だったんだが最近レコード屋通いも全然ご無沙汰、つまり消えてしまったところも実はまだ現存するところも知らない状態なので消えたレコード屋特集とはならなかった。おそらく日本一音楽雑誌を読まない現役レコード屋(?)であるROCKHURRAH、自慢にもならないが簡単に言えば情報不足というわけだ。

今でもレコード・コレクターと呼ばれるような人間はいて、各地で掘り出し物を見つけて狂喜している事と思う。ただ可哀想なのは最近ではそういう人々がはしご出来るほどに店の数が多いわけじゃないし一日レコード屋巡りをしても収穫は少ないに違いない。
インターネットが普及した90年代後半以降はコレクターが欲しがるようなレコードの流通価格が平均化してしまい、西新宿で買おうが西大路で買おうが要するに日本全国値段は変わらないというような状況、これじゃあ面白くも何ともないもんだ。時代は加速をつけてつまらない方向に向かっているな。

ROCKHURRAHが音楽に目覚めてレコード屋通いをはじめた頃はまだ音楽も文化も渾沌の時代だ。地元小倉からわざわざ高速バスに乗って福岡のレコード屋まで仕入れに行っていた。東京よりは出島が近いってのに、南蛮渡来の輸入盤屋なんてものは北九州にはロクになかったからだ。
その頃福岡でお目当てのレコード屋とくればレコード・プラントKBCとベスト電器の中にあったサウンド・ベストの2軒だった。当時の天神を知る人は納得してくれよう。知らない人も多かろうから軽く書いてみよう。

KBCは九州朝日放送、つまりテレビ朝日の九州版といった放送局のことで、その電波塔の下で輸入盤屋をやっていたのだ。九州では(たぶん)いち早くタワー・レコードKBCとなった(その後に出来たタワー・レコードとは別物)し、その後にはトラックスという名前で福岡の音楽シーンを盛り上げた伝説のレコード屋だ。その他の年代はスコーンと抜けてるがパンク、ニュー・ウェイブの時期には随分通ったもんだ。
センスの良い展示の仕方と音楽に対する情熱、愛情のこもった店でROCKHURRAHの音楽遍歴のルーツとも言える店。今でも愛聴しているJoy DivisionThis Heatになぜか同日に巡り合ってしまったのもこの店だ。Pere Ubuとの衝撃的な出会いもここだったなあ。
個人的な付き合いは特になかったけど後のトラックスの店長Tさん(当時はここで働いていた)の事を知らなければ、もしかしたらROCKHURRAHは今のような人生を送ってなかったかも。

サウンド・ベストの方はさすがに記憶もあやふやなんだが、関東方面にもちらほらある家電量販店ベスト電器(福岡が本店)の中のレコード・コーナーがここだった。
どこの家電量販店にもあるCDコーナーみたいなもんか?と多くの人が思うだろうが、それが大違い。売り場主任なのか何なのかよくは知らないが博多弁でまくし立てるその人がなぜか好き勝手にパンク始めました、という風情の店作り、量販店の中でこれは尋常じゃないと思ったものだ。特に当時の福岡ではあまり手に入らなかった7インチ・シングルを多く扱っていたのがパンク的で良かった。
最初は「何この店?変わってるな」という感覚で買ったんだが、レジでいちいち買ったレコードにマニアックなコメントを言ってくれる。量販店の中だから無論店員さんもパンクな髪形でも服装でもない、なのにスピリットはパンクそのもの。そのミスマッチが面白くて通ったものだ。
KBCではニュー・ウェイブをメインで、サウンド・ベストではパンクばっかりという同時進行で音楽を買い漁っていたのが当時の楽しみだった。スタンプ・カードがいっぱいになって最初に引き換えで貰ったのがプラスティック・ベルトランの1stアルバムだというのもいかにもROCKHURRAH的だと思える。

この人は後に独立してセブンティーズ・レコーズという素晴らしいレコード屋をはじめたんだが最初は神社の鳥居をくぐったような怪しい飲み屋ビルの片隅でやっていた。ゴミのような風景に妙にマッチしていてここも大好きな店だったんだが、レコードに付いているコメント、キャプションの類いもローカル色豊かで「こげん凄かレコード、買わな損ばい」などという感じ。博多弁は博多っ子ではないROCKHURRAHがテキトウに書いたのでそういった雰囲気だと想像して。
この店はROCKHURRAHがその後上京して東京で働いている間に火事で焼失してしまったらしい。盆や正月に帰省してセブンティーズに行くのが楽しみだったのに。
その後別の場所で復活したんだが、音楽への熱い意気込みを貫いた尊敬出来る大先輩だと言える。

この後、ROCKHURRAHは永らく東京で生活することになるんだが、長くなりそうなんでその東京編は次回という事にして今回は博多編のみにしておこう。

ごく短い期間ではあったが東京から出戻りだったROCKHURRAHは小倉よりは都会っぽくて住みやすそうな福岡に住んでいた。ここで運命の導きにより(大げさ)前述のレコード・プラントKBCと再会してしまうのだった。去年のブログ「マルワランド・ドライブ」で書いた通り、テキ屋一家に連れられて巡業していた後の話。
縁があってそのKBCが当時やっていたトラックスというレコード屋で働く事となったのだ。トラックス自体はすでにあったんだが、ちょうどその時、天神に新しく出来た大型ショッピングモールのワンフロアまるまる使って巨大レコード屋に生まれ変わろうというリニューアル企画があって、そのオープニング・スタッフとして採用されたのだ。
それ以前にも中古レコード店や輸入レコード店、なぜかレコード洗いのバイト(笑)まで経験していたんだが、どれもこれもアングラ感漂う世界。いわゆるメガストア系でははじめての体験だ。ここは服装も髪形もまるっきりの自由で好きなスタイルで働く事が出来たのが素晴らしい。
オープン前に徹夜で什器やCDの移転作業をやったり、何の因果かエルビス・コステロとトイレで並んでしまったり、短い間でもなかなか充実した日々が送れた。
がしかし、元来のアンダーグラウンド病であるROCKHURRAHなのでやっぱり巨大店舗には向いてないなあと痛感する事もあってこの店から、というより福岡から再び去ってしまった。パンクやニュー・ウェイブに出会った少年時代、そしてパンクな青春を送った日々、その時から比べると時代の勢いが確実に衰えてるのを感じたのもこの頃だ。

なんて、珍しくセンチメンタルな雰囲気で書いてしまったが、この後ROCKHURRAHはどこをほっつき歩いてSNAKEPIPEと出会ったのか?
詳しくは次回の第2部「立志篇」にて、乞うご期待!