ロックンロール世界紀行 Transit06

【珍しくタイムリーにちょっとだけ来日記念特集】

ROCKHURRAH WROTE:

ROCKHURRAH RECORDSが使っているサーバーでPHPのヴァージョン7.1が使えるようになったので早速試してみようと思った・・・などと書いてみても興味ない人の方が圧倒的に多いに違いない。
そういうのに興味ある人はウチのブログなんか読まないだろうからね。

PHP: Hypertext Preprocessor(ピー・エイチ・ピー ハイパーテキスト プリプロセッサー)とは、動的にHTMLデータを生成することによって、動的なウェブページを実現することを主な目的としたプログラミング言語、およびその言語処理系である。

うん、ROCKHURRAHも特に興味はないんだけど、これを新しくすることによって処理速度が速くなるなんて言われるとどうしても弱いんだよね。
がしかし、確かな知識を持ってなくて過去に致命的なエラーを起こした事もあり、この手の更新は慎重になってしまう。
手始めに仮想環境で同じことしてみたらやっぱり画面が真っ白けになってしまったので、もう少し調べるまで本番ではやめておこう。
何だ、やってないならこんな事わざわざ書くまでもなかったな。
というわけで今回のテーマは「真っ白」・・・というのは真っ赤なウソ。

さて、全然関係ない前フリだったが、今回は久しぶりの更新となるこのシリーズを書いてみようか。
最後に書いたのが何と2015年8月。書いてる本人にも忘れ去られてるシリーズだな。

世界の国名、都市名がついた歌をどこかから見つけてきて、それについてどうでもいいコメントをしてゆくだけというトホホなこの企画。
語呂がいいからつけただけで、内容は別にロックンロールでも世界紀行でもないよ、という詐欺めいたタイトルなんだけど、ほとんどが70年代パンクと80年代ニュー・ウェイブに関する曲ばかりを選んで聴かせるという姿勢だけが今の時代には珍しいかも。

マリブ・ビーチは米国カリフォルニアにあるビーチでサンタモニカとも割と近場、なんて事をわざわざ海辺が似合わないROCKHURRAHが言わなくても誰でも知ってるに違いない。

確かにもし、有り余るだけの財力があり、近隣のセレブ達と会釈するほどになったとしても、個人的にはこの辺に住みたいとは全然思わないだろうな。

好みと趣味の問題で合わない人とは永遠に合わないのは仕方ないが、旅番組とか見てても海辺のリゾートはイマイチと思ってしまう。
たぶん海が嫌いなワケじゃなくて、こういう番組で「今流行りの」とか言って紹介されるマリンスポーツにあまり興味ないからなんだろう、と自分を分析するよ。
そういう遊びやスポーツが流行る前(つまり子供時代)の海水浴は好きだったから。
その点、SNAKEPIPEとは好き嫌いが(たぶん)合ってて良かったよ。

大昔、社員旅行でマリンリゾートを満喫出来る島に行った時も、場違い甚だしいパンクな服装で通して海辺にも行ってない。傍から見たらおかしい人みたいに思われたかも知れない。日焼けも嫌いだし夏の服、本当に持ってないからなあ。

まあそんな好みは抜きにして、海辺でキャッキャするのが大好きな人にとっては憧れのいい場所なんだろうね。
一番最初の「猿の惑星」のロケで使われたなどと書いてあったが、あれはマリブ自体じゃなくてニューヨークの未来の景色として使われただけじゃないかな。マリブ要素は全然ないぞ。

そんなマリブビーチの魅力(?)をふんだんに伝えるのはこの曲しかない。
ハノイ・ロックスは1981年にデビューした北欧フィンランドのバンドで、ベトナムともカリフォルニアとも関係ないと思われるが、フィンランドっぽさも特にないと思えるので、まあ無国籍なロックンロール・バンドという位置でいいのかな?
ニューヨーク・ドールズやグラム・ロック、ハードロック、パンクを適度にミックスして80年代風にしたようなルックスと音楽で、80年代初期には大人気だったバンドだ。
マイケル・モンローやアンディ・マッコイのキャラクターはジャンルの垣根を超えて幅広く支持されていたな。

モトリー・クルーのメンバーが飲酒運転する車に同乗していたハノイ・ロックスのドラマーが事故死(事故を起こしたヴィンス・ニールは生き残る)という悲惨な出来事により解散してしまう不遇なバンドだったが、この手のバンドをあまり良く言わないROCKHURRAHでさえ知ってる曲を何曲も残している。
中でも一番好きでノリノリになれるのが「Motorvatin’(炎のドライビン)」とこの曲「Malibu Beach Nightmare(マリブ・ビーチの誘惑)」 だ。

まあ誰が聴いても単純明快にポップでキャッチーな曲。若くて突っ走った感じはパンクにも通じるものがあるようにも、決定的に違うようでもある。何じゃそりゃ?説明になってないぞ。
同じ曲をラモーンズやハートブレイカーズがやったとしてもこうはならなかっただろう。何と言うか、小気味いいけど混沌が足りないんだよね。
しかし久々にシリーズのタイトル「 ロックンロール」要素はあるから、まあいいか。
もうとっくの昔に解散してしまったけど、大好きでライブにも通った日本のサイコビリー・バンド、ROBINもこの曲をカヴァーしていたね。このカヴァーの方が原曲よりずっと好きだったよ。
ROBIN、再結成したら真っ先に駆けつけるのになあ。

コンスタンティノープルは今の地図にはない都市名だが、15世紀にオスマン帝国の攻撃によって陥落した東ローマ帝国の首都だったそうな。
うーん、社会と言えば日本史専攻で世界史は苦手だった覚え(地名・人名が覚えられない)があるが、その日本史も別に得意だったわけでもなく漢字が多少読めたから選んだだけ、我が家はSNAKEPIPEと共に歴史オンチだと断言されても仕方ない。
こないだの「読めん!」といい、書けば書くほど頭悪そうになってしまう窮地。
都市名はなくなっても場所としては今のイスタンブールの事だね。

「飛んでイスタンブール(庄野真代、1978年)」や「異邦人(久保田早紀、1979年)」「イスラエル(スージー&ザ・バンシーズ、1980年)」を例に出すまでもなく、1970年代の終わり頃の日本はなぜだか知らないが中東あたりがブームだったような気がする。
その時代の写真雑誌とかではシルクロードや中東、アフリカなど当時の一般的な日本人があまり行けないようなところを見聞してきたような紀行文が多かったもんね。この頃はまだ中近東と言ってたな。イスタンブールは中東なのかヨーロッパなのかイマイチわかってないんだが、まあ雰囲気的にね。

誰が写真撮って書いたのかは全然覚えてないが、ROCKHURRAHもそういう雑誌などで異国への闇雲な憧憬を持っていた。
今みたいにネットのない時代、調べてもよくわからないものは大概、想像で補ってたもんな。何事もロクに調べなかったROCKHURRAHはなおさら断片的で歪んだ海外のイメージ持ってたに違いない。当時は「普段はあまり知らない国の情報」への興味があったというわけだろうね。

ちなみに「異邦人」はタイトルと曲調がそれ風だっただけで、実は国立駅前の風景より作られた曲だったとの事だが(笑)、イメージ戦略により「何か中東っぽい」と思ってしまうね。

そんなコンスタンティノープルの魅力を余すところなく伝えてくれるのが今年、何と32年ぶりの来日をするレジデンツだ。しかも何でブルーノート?
特集企画でもないこんな場(今回の記事)で語るのも難しいくらいのキャリアを持つアメリカのバンドだが、60年代後半には既に実験音楽を作り始めてて、1972年にレコード・デビュー。以後、実験的でヘンテコ(たまにはちょっとポップ)な音楽を作り続けている謎の音楽集団なのだ。
目玉おやじがタキシード着たようなヴィジュアルだったり素顔を晒さない、メンバーも不明という匿名方針を長らく貫いてて、見てきた人でも「よくわからん」存在なのは間違いない。
現在までにどれだけ謎と呼ばれたバンドがいたのかは知らないが、音楽性のルーツも含めて謎が多い、その草分け的な存在がレジデンツなのだ。

ROCKHURRAHは昔々、雑誌「ロックマガジン」の記事でペル・ユビュとレジデンツを知り、その後着々とレコードを集めてきた。
どちらもジャケットから音楽性が想像出来ない雰囲気のバンドだったので、出会う前は色々な想像をしていた事を思い出す。
レジデンツの場合はジャケットが割と不気味カラフルだったからジャケ買いだったね。出してるRalph Recordsのイラストを多用したアートワークやレーベル・マークもハイセンスでそそられたもんだ。
「The Third Reich ‘n Roll 」や「Duck Stab! / Buster & Glen」などなど、まだ少年だった頃に聴いてた音楽は今でも鮮明に覚えてるよ。
前衛的で不安感に満ち溢れてて不協和音だらけではあるが、全編ノイズだらけのバンドや静けさが大半のレコードよりは個人的には聴きやすくて好きなバンドだったよ。

既存のパンクやニュー・ウェイブに飽き足らなくなって、オルタナティブとかアヴァンギャルドとかの方面を模索していた時期にちょうど重なったわけだから、この手の音楽は個人的な需要にぴったんこだったんだろうな。

引っ越しが多かったROCKHURRAHだが、レジデンツのレコードの中に入ってたファンクラブの入会申込書をどの家でもずっとピンナップのように壁に貼っていた。今は見つからないが、たぶん今住んでる家にも捨てずに持ち込んでるはず。
「Join or Die」というベンジャミン・フランクリンの有名な言葉が引用されてて、クー・クラックス・クラン(白人至上主義の秘密結社)の頭巾を被った四人が並ぶという不吉なシロモノ。
アメリカの私書箱に送金してファンクラブ会員になる、などという事はなかったけど、もし会員になってたら一体どのようなものが送られてきたんだろうか?それが知りたい・・・。

ん?曲について何も書いてなかったな。この曲はレジデンツの中で最も好きだった78年のアルバム「Duck Stab / Buster & Glen」に収録。
この時期までのレジデンツの中では最もニュー・ウェイブっぽい曲調でヴォーカルもノイズなバンドに通じるような歪み具合でカッコイイね。
コンスタンティノープル要素はたぶん特になし・・・。

ROCKHURRAHには珍しい来日記念特集第二弾でこれも書いてみるか。

京都は日本に来るような外国人だったら誰でも知ってる土地なのは間違いない。同じ古都でも奈良よりはメジャーな名前なんだろうか?統計取ったわけじゃないからその辺は不明だが、古くは「京都の恋(ベンチャーズ&渚ゆう子)」など京都にちなんだ曲もパッと思い出すもんね。

ROCKHURRAHはSNAKEPIPEと知り合う前に四年間くらいだが京都市民だった事があって、その時は右京区あたりを住処としていた。
特に何もないところだったけど、自然も近くにあって京都を満喫するにはいい場所だったかな。

坂がなくて道もわかりやすかったから自転車で割と広い行動範囲だったのを思い出す。
同僚が住んでた遥か北の船岡山(大徳寺近く)まで夜に自転車で出かけたり、今だったら絶対に出来ないくらいの行動量だったよな。調べてみたら7キロもあったよ。
太秦くらいは近場、軽く自転車で出かけてたからね。

京都時代は街が、と言うより個人的な趣味で仏像に興味あって、そのために色々出かけてたのだ。見た目や雰囲気からは全然そんな趣味は垣間見えて来ないけどね。
太秦は弥勒菩薩で有名な広隆寺があったので、そこを目指して出かけてたわけだ。
SNAKEPIPEと知り合った頃、禁じられてる自転車二人乗りで東寺まで行ったのもいい思い出。
ものすごく暑い時で大変だったし、途中でパンクしてしまったっけ?

旅行に行くたびに、とてもいいところだけど実際に住んでみたらどうなんだろう?といつも思ってしまう。
世間で観光地と呼ばれるところ(の近場)に初めて住んだのがこの京都時代だったけど、文化も歴史も自然もちゃんとあって生活にも不便はない。それがただの観光地と観光都市の違いってヤツかな。これから先、観光地に引っ越す予定はないが、住む基準はやっぱり生活と文化のバランスだろうな。当たり前の事言ってるなあ。

人にとってはどうでもいい回想になってしまったが、そんな京都の魅力を隅から隅まで伝える曲がこれ(?)、スラップ・ハッピーの「Heading For Kyoto」だ。
京都に向かう食堂車の中でどうのこうの・・・というような歌詞はたぶん何てことなさそうだが、1972年の1stアルバムに収録の曲。
上のレジデンツは32年ぶりって事だが、このスラップ・ハッピーも16年ぶりの来日だという。
このブログを投稿した日にはすでに過去の出来事になってるんだけど、書いてる時はまさに来日真っ盛り。日本では特に盛り上がりそうだね。

英国ケント州カンタベリー周辺で起こったカンタベリー・ミュージックと呼ばれる音楽の一派がかつてあった。後に名を成すプログレッシブ・ロックの数多くのバンドがこの地の出身で、メンバー間の交流が盛んだったので何となく(たぶん)ひと括りにしたもの。
ここの出身者ではないけどスラップ・ハッピーはヘンリー・カウ(靴下ジャケットで有名)と一時期一緒にやってた事によって、カンタベリー・ミュージックの一派として取り上げられる事が多いかな。

ピーター・ブレグヴァド、アンソニー・ムーアというボヘミアンな男二人とダグマー・クラウゼという歌姫がドイツで結成したのがこのトリオだ。米英独の友好同盟ね。
クラウト・ロックの先鋭的音楽集団ファウストやRock in Oppositionという主義の反体制バンド、ヘンリー・カウとの共作で知られるが、スラップ・ハッピー自体は聴きやすくて好きなバンドだった。その後、ヘンリー・カウに吸収合併されてしまうのが残念。最終的にダグマー・クラウゼを略奪されたような感じがしてイヤん(イオンとマイカルの関係みたいなものか?)なんだよね。
その後のアート・ベアーズやソロ作品で歌唱スタイルを確立(?)したという点では評価する人も多いだろうけど心情的にね。

まあ説明下手のROCKHURRAHなんかがいちいち言わなくても、熱烈なファンが多いバンドなのであまり書くような事がないんだけど、時代を先取りした音楽だったのは確か。
アヴァンギャルドな部分とか見え隠れはしても、時にノスタルジックでポップ、和める曲も残したバンドだったな。
今回の主旨とは違うから語らないけどROCKHURRAHは「I Got Evil 」や「The Drum」「Everybody’s Slimmin’ 」などが好き。

で、この曲のビデオは2016年にケルンで行われたライブより。
「うーん、当然ながら老けたなあ」と思って見たが、デビュー時から親交のあったファウストのメンバーと一緒にやってて、ファンならば感涙間違いなし。ダンボールとボンベみたいなのを叩いてパーカッションにするというのは「これぞ即興」という感じで昔からある手法だが、地面にそのまま置いててひざまずいて叩く姿勢が辛そう。もう少し叩きやすい、いい場所なかったのかな?

京都と言えばこちらも忘れちゃならない、キュアーのそのものズバリ「Kyoto Song」。
その後もやってはいるものの、やっぱり80年代のイメージが一番強く、ある種の人によっては80年代を象徴するバンドかも知れないね。

キュアーは元々オリジナル・パンクの時代に出てきたバンド。
1977年にデビューしたイージー・キュアは80年代初頭の暗くて内向的なイメージはなくてパンクっぽい、かなりの個性とクオリティを持っていた。などと見てきたように書いたけど、もちろんこの頃は無名でレコード契約もまだしてないようなバンドだったと思う。イージー・キュア名義の音源がレコードになったのはずっと後になってからだろう。
キュアー博士じゃないからハッキリは知らないが。

で、キュアーとバンド名を短縮した後の79年に本格デビューするんだけど、個人的にROCKHURRAHにとっては第一印象があまり良くなくて82年くらいまで敬遠していたバンドなんだよね。
ファンならば知ってるだろうが1stの一曲目が時計の針カチカチでなかなか演奏に入らない。たかが20秒程度なんだけど気が短い若者だったのでそれがかったるかったんだろう←バカ。
ロバート・スミスの特徴的な歌い方もこの時代にはまだ理解出来なかった。
まだまだROCKHURRAHも青かったんじゃろうて。
まあ誰にでもある完全な「聴かず嫌い」だと言えるが、タダでどんな曲でも試聴出来る時代とは違ったから、好みのバンド以外を買ってまで聴かなかったというだけ。
この頃の明るい名曲「Boys Don’t Cry」などは今聴いてもノリノリになれるんだけどね。

その後、キュアーは暗黒度合いを増していって「首吊りの庭」「血塗られた百年」「幻影地獄(乱歩かよ)」などと不吉なタイトルの曲(邦題が勝手放題なだけだが)や白塗り顔にドギツイ化粧、髪はボサボサというロバート・スミスの方向性によって、その手のバンドのイメージを決定付ける。暗黒仲間のスージー&ザ・バンシーズのギタリストとしても活躍したね。
同時代のネオ・サイケ、ダークサイケ、ポジパンと呼ばれる音楽はキャッチーな要素があまりないにも関わらず、英国では結構もてはやされたブームだったからね。

しかしロバート・スミスの不気味な見た目、ちょっとぽっちゃりした体型などからシリアスというよりは逆に笑える存在としても名高く、漫画にも登場するくらい。 どこが発信源なのかは知らないが日本ではロバオなどとあだ名が付けられていたなあ。
ショーン・ペン主演の「きっと ここが帰る場所」もロバスミをイメージしたんじゃないかな?

80年代初頭はそんなだったキュアーも80年代半ばくらいからは何かの呪縛から脱出したようで、明るくポップな曲調や奇妙なテイストを持った曲をモノにして、メジャーなヒットを連発してゆく。
確かにいつどこで聴いても即座にわかる声の持ち主で、好きとか嫌いとか抜きにして言えば、曲も演奏もビデオも他にはない個性を持ってたバンドだと思えるよ。

おっとまた曲について何も書いてなかったな。「Kyoto Song」は彼らの6枚目のアルバム「The Head on the Door 」に収録されていた。 琴の音みたいなのがそれっぽくはあるけど歌詞はやはりとっても暗く死に彩られたようなもので、京都要素は特になし。
どこで思いついた曲か知らないが、旅行中にこんな事考えてたら(歌詞もよくわかってはいないんだが)救いようがないぞよ。

あーあ、今回もまた世界紀行とは程遠い内容になってしまったな。ROCKHURRAHが好きで聴いてるような音楽と旅情が全然一致してないって事なんだな。
それでもやめずに続けてゆこう。

ではまた、ホシュ チャカルン(トルコ語で「さようなら」)。

ロックンロール世界紀行 Transit05

【今回は魅惑の島国、エキゾチック・ジャパン特集】

ROCKHURRAH WROTE:

去年から始めたこのシリーズ記事も案外進まず、まだ4回しか書いてない。しかも最後に書いてからもう数ヶ月も経ってしまってる事にさっき気付いたよ。ROCKHURRAHが主に書いてるシリーズ記事でこの手のパターンが多いな。

国名や都市名がついた歌は結構あるから簡単に書けると思ってたんだけど、意外と困難で・・・という事もすでに前回のTransit04で書いてるね。
そもそも英語力皆無のROCKHURRAHが曲の内容について語る事など出来るはずもなく、理解なんかしてないまま、いいかげんに書いてるのが現状だから、困難なのは間違いない。それでも何かは書くけどね。

個人的に今年の夏はお盆休みらしきものもほとんどなくて、夏を全くエンジョイしてなかったなあ。海外も日本の避暑地も全く無縁で、休みといっても最小の行動力(暑さが苦手のため)。

今回はそんなROCKHURRAHが選んだ「日本特集」にしてみよう。
前にブライアン・フェリーの事を書いた時に

東京は外国人にとっても憧れの場所なのか、ここをテーマにした歌は実に数多く存在する。

と書いた通り、タイトルにJAPANとかTOKYOと付いた曲は過去から現在まで数多くあるのは間違いない。しかし日本の事を歌った海外のミュージシャン達はどれだけ日本を理解してるのだろうか?
今はネットを調べれば何でも情報は出てくる時代だけど、それでも結構な数の勘違い外人はいるに違いない。特集するのは今ではなく80年代くらいに活躍した人々ばかりだから、その頃は余計に情報もなく、勘違い外人はもっと多かったはず。

しかし自分の胸に手を当てて考えるまでもなく、海外のメジャーな都市でもそこの文化に精通して完璧に理解している日本人は少ない。
その辺はまあ、おあいこって事で話を進めよう。
さて、音楽に国境はなくて文化の溝を埋める事は出来るのだろうか?

まずはジャパンのこの曲から。

ジャパンは1970年代半ばから80年代前半まで活動していたイギリスのバンドだが、当初は本国では大した知名度もなく、日本でだけ大人気というよくあるパターンのバンドだった。

このジャパン人気の元を作ったのはおそらく当時の音楽雑誌「ミュージック・ライフ」の強烈なプッシュがあったためだと思われる。
創刊は何と1930年代だというから、おそろしく歴史のあった老舗音楽雑誌らしい。70年代にはロック少年少女向けのアイドル的バンドを発掘し、広く知らしめるという方向性で、美形バンド・ファンの発展に大きく貢献した。
ROCKHURRAHの実家では二人の兄が「音楽専科」とか「プレイヤー」とかの音楽雑誌を読んでいたが、自分で選んで読んでたのは「ロックマガジン」と「DOLL(昔は「ZOO」)」、そして「フールズメイト」の三誌で東京に出てからは「ZIGZAG EAST」や「NEWS WAVE」「オブスキュア」などの雑誌まで毎号律儀に買っていた。たまに洋書までも手を出してたから雑誌代もかなりかかってたのを思い出すワン。
「ロッキン・オン」とか「クロスビート」とか「ミュージック・マガジン」とか、主流の音楽雑誌が全然出てこないところがいかにもROCKHURRAHらしいね。ん?個人的な雑誌談義はどうでもいいか。

「ミュージックライフ」はたぶん兄弟の誰も読んでなかったと思うが、書店の音楽雑誌コーナー見るとイヤでも目に飛び込んでくるこの手の表紙。
ジャパンはその辺でよく見かけたな。
美形と呼ばれたロック・ミュージシャンは時代によって色々だろうが、ジャパンのデヴィッド・シルビアンやミック・カーンはこの時代では代表的なもので、彼らのヴィジュアルがまず音楽よりも先行しての人気だった。
音楽の方は最初の頃はグラムロックの延長線にディスコ・ミュージックをくっつけたような曲もあれば、ロキシー・ミュージックのあまりヒットしなかった曲みたいな雰囲気もあり、どちらかと言えば見た目ほどにはキャッチーではなかった印象がある。ミック・カーンの顔と演奏はすごいインパクトはあったけどね。

1979年発表のこの曲もニュー・ウェイブ真っ只中という時代を考えると案外地味だが、この後、1981年の「錻力の太鼓」あたりになると中国や日本の旋律をうまく取り入れた独自の音楽性で高い評価を得る。が、この曲は直接的には日本も東京も特に感じない曲調。

何十行にもわたって書いた後で言うのも何だが、実はROCKHURRAHはジャパンのレコードを所有していた事がなくて、個人的には特に思い出のないバンドなんだよね。好きとか嫌いとか以前にあまり知らない、しかも知らないくせに何かそれっぽい事を書いているという仰天のいいかげんさ。最初からこんなんでいいのか?

次は1980年に大ヒットしたヴェイパーズのこの曲。
なぜだかこのビデオだけ別サイトのものだが仕方ない。見栄え悪くてごめんね。
そういう企画自体がすでに大昔の事となってしまったが、一時期「消えた80年代ヒット曲」とか「一発屋特集」みたいな企画があった場合には、かなりの確率で取り上げられていたと思われる一発屋の典型だな。
これはモロにパワーポップ全盛期のノリの良い曲で、タイプは全然違うがレジロスや初期XTCなどと同じくアップテンポでキレのある演奏。
ザ・ジャムのプロデューサーによるプロデュース作品で全英3位のヒット曲にまでなったが、その時の1位がジャムの「Going Underground」だった、要するに同じプロデューサーにNo.1を阻まれたというエピソードがあるらしい。
ヴォーカルの男が前髪パッツンなのに後ろが長い、昔の関西のヤンキー子供みたいな髪型なのが時代を感じさせるね。アメリカのパンク・バンド、ディッキーズのヴォーカルも確かこんな髪型だったな。ブライアン・イーノやマガジンのハワード・デヴォートも同じ系列の髪型なのでまとめてみた。軽薄で身軽な動きと顔つきが「ズーランダー」の頃のベン・スティラーに何となく似てるような気がするな。

ビデオの方は典型的な勘違いだけど、日本では決して美人と言われないタイプの芸者、そしてサムライではなくて居合い抜きの剣術家などが登場する。(註:現在このビデオがどうしても見当たらないので別のビデオで代用)
曲のイントロは外人が「日本の音」だとよく勘違いする中華風メロディ。
これだけで日本を表現する安易さがツッコミどころ満載だが、 居合い抜きがちょっとだけ他にない発想だったかな?もしかしてこれを=侍だと勘違いしてたのかな?

そしてこれ、ビー・バップ・デラックスの一番最後くらいにリリースされた1977年の曲で、この後バンドは解散。ビル・ネルソンはもっとパンクやニュー・ウェイブ真っ只中の音楽をやるためにレッド・ノイズ、そしてソロとなる。
ビル・ネルソンについてはウチのブログで特集してるから、大して詳しくは書いてないけどそっちも参照してみてね。
このバンドが早くから日本や東洋に目を向けていたという事はないが、中期の頃の曲「Blazing Apostles (狂信者)」では「Old Japan」という歌詞のところで例の勘違い中華メロディを弾いてるから、やはり日本への理解度も他のバンド同様ということかね。
80年代、ソロの時代にはYMOの高橋幸宏と交流があり、お互いのソロ・アルバムにギターとドラムで参加したり、YMOのツアーにギタリストとして参加したりもした。奥さんも日本人なので並みの英国人よりはずっと日本に対する理解も深いはず。
この曲はそういう時代の前なんだけど、まさにニュー・ウェイブ夜明け前といった雰囲気でこのバンドの先進性を物語っている。まだYMOも登場する前にシンセサイザーとギターによる擬似テクノみたいな音楽をやってるんだもんな。 おそらく日本の童謡とかにインスパイアされたであろうメロディがチープながら印象的。ビデオの方は誰かが後で編集したもので全然オフィシャルじゃないけど、キャリアの割には動いてる映像が非常に少ないバンドだったので、こんなので許して。

今回はあまりひとつの曲について詳しく書かなかったから短いけどこれで最後。
スコットランドのヘンな歌姫、アネカの大ヒット曲だ。
1981年に全英1位になってるから上に書いたヴェイパーズよりも一瞬の人気は高かったという事になるのか?
81年と言えばおそらくニューロマンティック全盛期あたりで、チャートに上がる音楽以外にも様々なジャンルがひしめいていた時代だ。それだけ層の厚い時代にこんなインチキ・ジャパニーズがまかり通ってたとは逆に驚きだが、主にニュー・ウェイブの世界ばかりを見てきたROCKHURRAHと世間一般の音楽事情には少しズレがあるのは当然。
博物館みたいなところで激しく剣道の試合中という意味不明のシチュエーション、しかも特にオチもないし、日本を表現しているとも思えないよ。着物を着てなぜか合掌ポーズ、そして割り箸?プロペラ?みたいな奇妙なかんざしのアネカが歌うのが「外人が感じる典型的な日本的メロディ」ってヤツ。
うーん、ヘンはヘンだけど勘違いというよりは プロモーション・ビデオの監督が何だかよくわからない人だった、という気もするな。
外人が感じる典型的な日本のイメージを逆手に取ったサンディー&サンセッツの方がよほどそれっぽい映像を残してるよ。

以上、もっと日本っぽい曲や勘違い甚だしい映像とかも探せばあるんだろうが、70〜80年代にこだわってROCKHURRAHが集めたのがこういうのになってしまった。延々とダラダラした長い記事やセンテンスが一部で有名なROCKHURRAHの文章だが、今回は実に控えめ。夏の疲れが出たかな?

ではまた涼しくなったら会いましょう。
さらば夏の日(前にも書いたよ)。

ロックンロール世界紀行 Transit04

【ロックンロールでもないし紀行文でもない独自路線の企画だよ】

ROCKHURRAH WROTE:

世界の国や都市名のついた曲を取り上げて、それについていいかげんなコメントをしてゆくというこの企画、久々にまた書いてみよう。

しばらく書いてないのでネタ切れと思われるかも知れないけど、70〜80年代のパンクやニュー・ウェイブ限定で地名のついた曲名を探しても、まだまだネタ自体はあるのだ。しかしやってるバンドについて特に詳しくなかったり、タイトルの地名について何もコメント出来るような事がなかったりと案外困難で、書き始めるのをためらっていた状態。文字通り「こんなんだったら企画自体やめたら?」と言われてしまうね。
それでも何か書かないと日曜日(当ブログ更新と決めてる曜日)は待ってくれないんだよな。

さて、今日はちゃんと旅情を掻き立てるようなのが書けるのか?
いや、たぶん無理だろうなあ。

Living Through Another Cuba / XTC

キューバについての知識はほとんどないが、そのわずかに知ってる事と言えば大航海時代に発見されて、スペイン人たちの暴虐により先住民族がほとんど絶滅してしまった事や、カストロやゲバラによるキューバ革命など、過去の血なまぐさい事柄ばかり。
今現在のキューバがどうなのかは全然知らないけど、とてもじゃないがエンジョイ出来そうな気はしない、という偏見を持っている。

昔観た映画で「マチネー/土曜の午後はキッスで始まる」というのがある。「グレムリン」などで有名なジョー・ダンテの作品なんだが、この映画の舞台が1962年のフロリダ。その当時はアメリカとキューバが一触即発の状態にまで対立していて、一般市民に見えないところで数々の抗争が激化していたという。ケネディVSカストロという豪華対立ね。

キューバにソ連製の核ミサイルが配備されて海のすぐこっちにあるフロリダを狙っていると市民が恐れおののいていた二週間。最悪の場合はソ連・キューバ対アメリカだけではなく第三次世界大戦にまで発展するのではないかと噂されていたわけだ。
見てきたようには書けないけどこれが俗に言うキューバ危機という出来事だったらしい。

映画はそういう緊迫した情勢を背景に持ちつつも割と明るい雰囲気で始まる。映画について語る記事ではないから端折るが、ペテン師のような映画興行主と少年、そして初恋、不良少年などが入り乱れた青春コメディっぽい内容でいかにも古き良きアメリカ。
これはROCKHURRAHの大好きなテーマが詰まってる作品だった。
中に出てくる映画監督というかプロデューサーが大げさな宣伝文句で観客を集め、チープなこけおどしでB級SFホラー映画にギミックを仕掛けるという点、こういうところにROCKHURRAHは価値を見出すのだ。
大昔のB級映画マニアにはおなじみ、ウィリアム・キャッスル監督がモデルだと思われる。

さて、キューバ方面からは何も語ってないように思えるが、たぶん気のせいだろう。そんなキューバ危機について歌ったのがXTCのこの曲だ。

XTCについては何度も書いてるけど、ロンドン・パンク直後のニュー・ウェイブ黎明期に鮮烈なデビューを果たしたバンドだ。
重厚なベースラインにタイトなリズム、そして引っ掻くようなノイジーなギターと奇妙にアヴァンギャルドなキーボード、野太いエモーショナルなヴォーカル。これらが一体となった大変に勢いのある曲はどれも驚くほどポップで、初期のニュー・ウェイブの代名詞と言えるバンドだった。
残念ながら勢いがあったのは80年代初期までで、この後はライブ活動も行わなくなり、緻密な名人芸のようなポップな曲ばかり作るようになってしまった。
「Living Through Another Cuba」は1980年にリリースされた彼らの4枚目のアルバム「Black Sea」に収録されている。
個人的には初期の素晴らしい勢いの曲こそが最高と思ってるんだが、人によってはこのアルバムがXTCの最高傑作と評価するかも知れないね。

この曲はそういうシリアスな米ソ関係を揶揄するような内容で、延々と同じフレーズの中で早口まくし立ての乱暴なヴォーカルが展開してゆく。日本で言えばナントカ音頭みたいなノリなのかね?XTCのポップな表面とブラックでひねくれた世界が見事に融合された名曲。
この曲で動いてる映像がこれしかなかったのでちょっと長いけど載っけてみるよ。省略したい人は3分10秒くらいから見てね。
アンディ・パートリッジのヴォーカルとギターは圧巻だが残りの二人のコーラスがひどい出来という、まれに見るテンションのライブでこれは貴重。
誰か歌のキー、間違ってないか?
読み返さなくてもわかるが、割と長く書いた割にはキューバについては何も書いてないな。
初めて読んだ人には不明だろうが、こういういいかげんな企画やってます。

The Lebanon / Human League

レバノンについての知識はほとんどないが、ROCKHURRAHは福岡県に実在したレバノン幼稚園出身という過去を持つ。と書きながらチト調べてみたところ、何とこの幼稚園、今でもあるではないか。このことに逆にビックリ。カトリック系で別におかしい名称ではないんだろうが、幼稚園名を言うと誰でも一歩引いてしまう、そういうインパクトのあるところに行かせてくれてありがとうと親には言いたい。
本格的なカトリックとは違う日本の幼稚園で、クリスマスにローソクの火が誰かの服に引火したとか変なエピソードだけは覚えてるよ。
ちょっとだけカトリック・テイストが入ったような行事をやってたような記憶があるが、まあ幼稚園の頃の記憶なんてアテにはならんな。
元々米軍基地のあった街で幼少時代を米軍ハウスで過ごすという、人によっては羨ましい環境で育ったのもその後のROCKHURRAHの人格を形成していった要因なのかもね。え?関係ない?

レバノンについて何も語ってないような気はするが、この国についてひとつだけでも思い出がある日本人は少ないだろうから、これで良しとしよう。過去には内戦も戦争もあったようだが、今はちゃんと観光も出来る模様。遺跡も多いしね。
さて、そんなレバノン情勢について歌ったのがヒューマン・リーグのこの曲。

ヒューマン・リーグは1970年代末にイギリスのシェフィールドからデビュー、エレクトロニクス・ポップスの分野で活躍したバンドだ。
最初の頃はシンセサイザーなどを駆使した音楽で、エレポップ真っ只中という時代もあって結構注目されていたが、ヴォーカルは片側だけ長髪という大変に不気味なオタクっぽい髪型、そしてブライアン・フェリーにも通じる粘着質のいやらしい歌声、という2つの個性を武器にしていたな。

途中でヘヴン17とヒューマン・リーグの2つに分裂するんだが、本家の方は80年代初頭に「愛の残り火」が奇跡の大ヒットをして、誰でも知るような有名バンドに成り上がってしまった。この頃はもう変な髪形はしてなかったが、どう考えても似合わないと思う気色悪い化粧顔で一応、ニュー・ロマンティックの仲間として扱われてるな。
この曲「The Lebanon」はそういう時代も過ぎた1984年の作とのこと。この頃はまだ内戦真っ只中くらいのようで、歌詞も割と直接的という話だが、詳細はよくわからん。

実はヒューマン・リーグを聴いていたのは初期の頃だけで、80年代は「愛の残り火」と「ミラーマン」くらいしか知らないんだよね。国名や地名のついた曲を探してる時にたまたまSNAKEPIPEと話しててこんなタイトルの曲があるのを知ったけど、そういう知らない曲に対してコメントしてるという危機的な今の状態。
この曲はギターやベースなどが入った普通のバンドっぽい構成で逆に驚いたよ。ヒューマン・リーグと言えば机みたいな台にシンセサイザー載っけたようなライブの印象しかないんだけど、初期しか知らないんでお粗末でいいかげんなコメントしか出来ないなあ。ウチのブログで特に話題となっている髪型はそこまで変じゃないけど、いやらしい目つきは健在。

India /The Psychedelic Furs

横尾忠則や藤原新也などの例を出すまでもなく、インドにインスパイアされたアーティストは古くからたくさんいて書ききれないほど。特に何の大志もない一般人でも世界観が変わってしまうという話はよく聞く。
ROCKHURRAHはどうかと言うと、インドに対する断片的な「良い部分」は理解しても正直に言えばたぶん苦手な国だと思う。東南アジア全てについて同じような感想なんだけどね。
人口が多くて人と人が触れ合ってひしめき合ってるような場所はどうしても好きにはなれないのだ。

人にとってはどうでもいいような話だがここでちょっと。
ROCKHURRAH家ではSNAKEPIPEと二人で毎日共同で料理を作っているが、去年くらいからの三大ヒット作のひとつが市販のルーとかを一切使わないインド・カリーだ。ちなみに他のふたつはパエジャとアヒージョという相変わらずのにわかスペインかぶれ。
スパイスの調合が大変かと思いきや、意外と適当にやってても下手なインド料理屋よりはよほどうまいと思えるのが作れてしまう。こういうDIY精神でずっとやってゆきたいものだ。

さて、肝心のインド部分の描写がまるっきり抜けている気がするが、相変わらず気のせいだろう。
そんな(?)インドを歌った曲は数多くあれど、やっぱり80年代らしく選んだのがサイケデリック・ファーズのこの曲。「ガンダーラ」じゃなくて残念だな。

彼らがデビューしたのは1980年。ジョイ・ディヴィジョンやバウハウス、スージー&ザ・バンシーズなどからの影響でダークな色彩を持つバンド達が次々とデビューしていた時期で、そういう音楽を一括りにしてネオ・サイケデリアと呼んでいた。彼らもその中のひとつなんだが、バンド名にすでにサイケデリックとついてるからわかりやすいかもね。
このジャンルではちょうど彗星のごとくデビューして話題になっていたエコー&ザ・バニーメンと人気・実力の上でいいライバルというような位置だったかな?
1stアルバムが確か黄緑とピンクのような色合いで、これがエコー&ザ・バニーメンのコロヴァ・レーベルの色彩と似ているため、こちらが勝手にそう思っただけか。
ヴェルベット・アンダーグラウンドのような音楽の80年代版といった音楽をやっていて確かにこりゃネオなサイケだわ。この手のバンドでは珍しくサックスが入っていたな。そして、ありそうでめったにないこの鼻から脳に抜けるような歌声に痺れてファンになった人も多かったはず。ROCKHURRAHの大好きだったウェステッド・ユースと近い歌い方だな。ファーズには悪いが、あちらの方が数段好きだった。
しかしこのビデオ、演奏や歌はともかく、風呂あがりの外人のおばちゃんみたいな服装は何だ?アンコールで本当に入ってる途中で出てきたのかな?

それぞれの国に対するまともなコメントが全然ないという呆れるばかりの内容だったが、ROCKHURRAHのブログはあまり主義主張を入れず、政治や時事的な問題も扱わない(扱えない)。
大体こういう頭悪そうな独自の路線でやってゆくので、来年も引き続きご愛顧賜りますように。
ん?まだ11月だったか?
締めくくりには気が早すぎか。

ロックンロール世界紀行 Transit03

【独自の視点で世界を旅する、観光的要素はほとんどないけどね〜】

ROCKHURRAH WROTE:

3回目ともなるとさすがにくどい前置きなど要らないと思えるが、単に国名や地名のついた曲名(バンド名になる予定もあり)を挙げて、それにまつわるちょっとしたコメントをするだけというのがこの企画だ。

こういう趣旨のブログ記事が他にあるのかどうかさえ調べてないが、曲名の条件さえクリアすれば何でもいいというわけではなくて「70〜80年代のパンクやニュー・ウェイブが話題のメインで」というかなり限定的な内容となっている。当然だが、曲名としてよく使われるメジャーな国や都市は何回も紹介するだろうし、逆立ちしても一曲も出てこない不人気国なんてのも数多く存在してるに違いない。
あと、一番上の世界地図にバンド写真を分布させるという手法を取っている関係上、あまり同じ地域に固まるのは避けているのも当たり前。マンチェスターとシェフィールドとリヴァプールがそれぞれ曲名に付いたのを偶然発見したとしても同じ日のブログに載る可能性はないということだね。

やっぱりくどくて言い訳がましい前置きだな。

Mexico / The Waltons

自分でそういうジャンルの服装にトータルで挑戦した事はなかったけどROCKHURRAHの今の風貌で最も似合うのはウェスタンな服装だと言われる。いや、みんなに言われてるわけじゃなくてSNAKEPIPE一人に言われてるだけなんだけどね。
確かに怪しいガンマンのような格好させたら「そのもの」になってしまう。何十年もこういう格好してるに違いない、と思うような爺さんとかたまに見かけたりするけど、たぶんROCKHURRAHも一式揃えたら即日で年季が入ってそうなウェスタン野郎になってしまうに違いない。だから敢えてそういう方向性を避けてるんだけどね。
正統派ではなくてマカロニ・ウェスタンと呼ばれるような映画も色々見てきたし、子供の頃はクリント・イーストウッドではなくてリー・ヴァン・クリーフ(主に悪役)に憧れていた。ああいうオッサンにだったらなってみたい気はするな。
そのマカロニ・ウェスタンに登場するメキシコ人は絵に描いたような卑劣漢で裏切らない筈がない、という印象を叩きこまれて育ったものだ。
でも陽気で死をも笑い飛ばしてしまえるようなタフな国、実は大好きだよ。ロバート・ロドリゲスは大好きだしトルティーヤは好物だし。あまり説得力ないか。
この国も間違いなく危険そうな印象はあるけど、個人的に一度は行ってみたい国の候補だね。

そんなメキシコの魅力を存分に伝えてくれるのがウォルトンズのこの曲、そのものずばり「Mexico」だ。カウパンクやラスティックの年季が入ったファンならばこのバンドの事ももちろん知ってるだろうけど、一般的にはほとんど知名度のないドイツのバンドだ。
本人たちは出てきた当初は自分たちの音楽性をウェスタン・ロカビリーというような言い方していたが、カウパンクとかラスティックという一言でどんな音楽かピンと来ない名称よりも非常にわかりやすくていいな。
ドイツという、どうあがいてもウェスタン気取りにはなれないような環境で1985年にデビューして以来、延々と同じ路線を貫いている筋金入りのカウパンク・トリオがこのウォルトンズだ。ベースはロカビリーのウッドベースではないんだが、キレのあるギターと軟弱そうなヴォーカルが魅力、曲も典型的カウパンクで作曲センスもROCKHURRAHの大好きなパターン。とにかく軽快で時には軽薄、典型的なんだけどインチキ感満載でペラペラなのかそれとも懐が深いのかよくわからない紙一重の世界。
しかし見た目がネルシャツのみでウェスタンを表現するという貧弱さ、ルックス的にはどうでもいいタイプ。この音楽でせめてアラームやイップ・イップ・コヨーテ(どちらもウェスタン系ファッションが似合ってた80年代のバンド)くらいに決めてくれれば良かったのに。人に勧めるのを躊躇してしまうタイプのバンドだよ。
曲はちょっと聴いただけで典型的メキシカンな雰囲気バツグン、哀愁のある名曲だな。今まで3回もこの「ロックンロール世界紀行」をやってきて、これだけ地名と音楽が一致したのもはじめてかも。

La Düsseldorf / La Düsseldorf

特にどこの都市が、と指定があるわけではないが、ROCKHURRAHにとってはドイツは行ってみたかった国の上位に必ず入るところだ。ニュー・ウェイブの時代にドイツ音楽に傾倒していた時期があって、DAF、デイ・クルップス、デア・プラン、フェールファーベンなどなど、愛聴していたものだ。これらのノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(このブログでは何度も登場しておなじみの言葉。ドイツのニュー・ウェイブの事)のバンドの多くは首都ベルリンではなくデュッセルドルフ出身であり、だから短絡的によく知りもしないデュッセルドルフに憧れていただけの話。
ドイツの都市の中でも特に発達した大都会で音楽や芸術も盛んな場所という印象だけで、ここはどうしても行きたい、見ておきたいというような具体的な願望はないんだよね。
ROCKHURRAHとSNAKEPIPEは元からそういう欲求が薄くて、旅に行ったらぜひここに行かないと、という目的がそもそも通常の観光とはかけ離れていたりもする。ただそこに居て風景が違うだけ。日常と同じ行動してるだけでも満足なんだよね。
まあそんな風に書くと高尚ぶったヤツなどと思われかねないが、欲まみれの旅行だけはしたくないな。
とにかく整然とした街並みや建造物に自然、もし行けたとしたらドイツのどこを見ても感動する事は間違いないだろうね。

そんなデュッセルドルフの魅力を余すところ無く伝えてくるのがラ・デュッセルドルフのこの曲、そのものズバリ「ラ・デュッセルドルフ」だ。さっきからひねりが全然ないぞ。
元々クラフトワークのメンバーだったミヒャエル・ローターとクラウス・ディンガーの二人が1970年代半ばに結成したのがノイ!というジャーマン・ロックの伝説的なバンド。その二人が決別した後にクラウス・ディンガーの方が弟のトマス・ディンガーなどと共に作ったのがこのデュッセルドルフなるバンドだ。
ノイ!はひたすら単調に反復するハンマービートというドラムのスタイルを創りあげて、後の時代のパンクや80年代以降のリズム・マシーン(を使ったテクノやエレクトロニクス・ポップといった音楽そのもの)に多大な影響を与えたバンドとして著名だが、そのハンマービートの創始者がクラウス・ディンガーという事になる。その人がやってるわけだからラ・デュッセルドルフの方もやはりはじめにハンマービートありき、というスタイルを踏襲している。
このバンド自体はパンクでもニュー・ウェイブでもなくジャーマン・ロックやプログレッシブ・ロックの範疇で語られる事が多いが、ほとんどニュー・ウェイブっぽいような曲もあり、ちょうど境界線上にある音楽だと言える。
この曲は1976年の1stアルバムに収録のものだが、反復するハンマービートに投げやりなヴォーカル、途中でちょっと巻き舌。まさにパンクやニュー・ウェイブの登場を予見するような名曲だ。
ちなみにこの1stアルバムは1曲目が「Düsseldorf」2曲目が「La Düsseldorf」という掟破りな曲目となっていて、13分以上ある最初の曲も静と動のメリハリがあって素晴らしい。彼らのアルバムが割とどうでもいいような、アートなのか何なのかよくわからないジャケットなので素通りされがちだが、音楽は本当にいいので聴かず嫌いだった人はぜひ体験してみて欲しい。

Hiroshima Mon Amour / Ultravox!

海外のバンドが日本を曲名にする時、東京以外の場合はかなり少ないがその珍しい例がこれ。とは言ってもこれはマルグリット・デュラスが脚本を手がけたアラン・レネ監督の映画「二十四時間の情事」なる作品の原題らしいので外国人が知ってても全然おかしくはないタイトル。
スキッズのリチャード・ジョブソンもデュラス大好きで詩の朗読をしたソロ・アルバムを二枚も出してるね。
海外における広島のイメージはたぶん=原爆でしかないんだろうな。決して「仁義なき戦い」とか「もみじまんじゅう」とかは連想しないわけだ。
ROCKHURRAHはなぜか大昔に受験でこの地を訪れたのが唯一の広島体験だ。全然旅行気分じゃないシチュエーションだったから普通の観光も皆無だったにも関わらず、どういうわけだか真っ赤なサテンのジャンパー(スカジャンとかではなく本当のサテン・ジャンパー)を買ったのだけは覚えている。受験だからおそらく真冬、その時に何でサテンのジャンパーを買うか?しかも大学が僻地だったから電車やバスではなく、リッチにタクシーで向かい、その車中でなぜか運転手とヒバゴンの話題をしたのを思い出す。広島の比婆山で目撃されたという未確認生物ね。
何だか若い頃のROCKHURRAHは理解に苦しむところの多い人物だな。

そんな広島の魅力を充分にうまく伝えてくれるのがウルトラヴォックスのこの曲「ヒロシマ・モナムール」だ。
1980年代初期、男が化粧してモード系に着飾ったニュー・ロマンティックなる音楽が大流行した。その頃に注目されたバンドのひとつがウルトラヴォックスなんだが、実はロンドン・パンク発生よりさらに前から活動していたベテラン・バンドだった。
初期の3枚のアルバムはジョン・フォックスがヴォーカル、その後は元スリック、PVC2、リッチ・キッズのミッジ・ユーロがヴォーカルとなっていて「ニュー・ロマンティックがなんとかかんとか」などと評されるウルトラヴォックスはミッジ・ユーロ在籍時のもの。
彼が入る前が個人的に最も好きな時代だな。
「Young Savage」や「RockWrok」などの曲は早口でアグレッシブな歌と演奏でパンクの理想型そのもの、今でも色褪せない素晴らしい名曲だ。シンセサイザーなどの電子楽器をいち早く取り入れた曲作りでテクノやエレポップの元祖的存在と言われる先進的なバンドだったが、それは後の時代の評価。やってた当時はパンクっぽい曲しか評価されなかったらしい。あと2年ほど遅ければドンピシャだったのにね。

ジョン・フォックス在籍時のウルトラヴォックスはバンド名の最後に!がついていて、上に書いたデュッセルドルフの前身バンド、ノイ!の影響が感じられると色々なところで書かれていているがROCKHURRAHはそんなに感じなかった。もしかして鈍感?
シンセサイザーもプログレ風というよりは同じ未来派バンドであるビー・バップ・デラックスあたりとも通じると個人的には思ったよ。

1stアルバムはネオン管の下でメンバー全員がマネキン人形のようにつっ立っているSFっぽいもの。2ndはアンディ・ウォーホルのポップアート風(+イーノの「Taking Tiger Mountain」ぽくもある)。
このようにアルバムアートのデザインもなかなか凝っていたがPV見てわかる通りジョン・フォックスはエラが張った怖い目つき、ややおばちゃん顔の男だし、他のメンバーも見た目がちょっと気色悪かったり、スタイリッシュなアートワークとのギャップが残念なバンドだったな。

脱退後ソロになったジョン・フォックスはこの鋭い目つきでホンダ・タクトというスクーターのCMに出演したりもしたが、ROCKHURRAHはホンダではなくヤマハを愛車としてたので彼とは縁が薄い。
やっぱりソロよりもウルトラヴォックス時代の方が数段いいなあ。

世界紀行などと言っておきながら相変わらずまるっきり旅情をかき立てないこの文章。パンクやニュー・ウェイブの曲の題材がそもそも「こんな感動的な景色の国に行って来ました。ショッピングもグルメも満喫」というような趣旨とは違う場合が多いから仕方ないよね。そんな内容の歌だったらたぶん聴いてないだろうし。
TVと違って誰も読んでくれなくても書き続けるし不人気だから打ち切りにもならないけど、ここまで読んでくれた方には「ありがとう」と言いたい。
まだネタとしては色々あるから次回もよろしくね。